君と上手く話せなくなって3ヶ月が経つけど
その間に僕はさ ビールが飲めるようになった
君と上手く話せなくなったキッカケは忘れたけど
その間に君はさ 恋人ができたんだってね
10月が終わりますが
10月の記憶があまり無い。
体調崩してたことと、ちょっと人間関係疲れちゃったりしたことと、なんかとりあえず疲れてたなあ、なんて思う。
でもライブは沢山行ったなあ。音楽イベント的なものも含めて、4回。内3回はSIRUP。ハマるととことんなのは小学生くらいから変わっていない。それが継続されるものは少ないのだけれども。だからこそ継続して好きなものは、私にとっては衣食住と同じように無ければならないものになってしまうのだ。
ちょっと急ぎの仕事があったから、珍しくスーパー集中モードを発動したのだけれども、あのアドレナリンぶわぁぁあって出る感じ、週1くらいで出せたら気持ち良いのにな。
明日から11月。いよいよ冬が始まる感じ。
暗くなるのが早くなって、寒さを感じるようになってくると、昔の記憶がふと脳裏をよぎることが増える。
職人仕事だった父は家に帰るのが早くて、食卓は家族で囲むことが多かった。高校に入ってからは、兄は他県に進学したし、私もバイトをしていたから、食卓に4人揃うことは盆と正月くらいになった。
社会人になってからは22時より早く家に帰る事が無くて、温かいご飯を食べることはほぼ無かった。
親不孝をしているなと思う。
この歳で未婚で、この先正直する予定もする気もする予感も無いし、兄も結婚しないだろうから、申し訳ないなとは思う。ろくに連絡も取らない。月に1回メールのやり取りがあれば良い方だ。
仲が悪いわけでは無いのだけど。
暗くなって寒くなって思い出すのは小中学校の頃の記憶ばかり。登下校に徒歩や自転車で1時間くらいかかる辺鄙な場所にあった我が家。街灯もろくにない真っ暗な道で、遠くから家の灯りが見えただけで安心したものだ。
大人になった今それを何かに例えるとしたら、実家の灯りっていうのは北極星みたいなものなんじゃないかと思う。
物理的にも、街灯が無く山々に囲まれて、近隣の家もほぼ空き家になってしまって、真っ暗なところにある家だから、その灯りというのはとてと映える。心理的にも、迷えばとりあえずそこを目指せばいい。
でも家というのは住む人があって初めて家だと呼べるのだとも思う。
あの家はいつまで家であってくれるだろうか。
色々と考えるところはあれど、私は好きな時に好きな本が読みたいし、映画が観たいし、ライブに行きたいし、お酒が飲みたいし、コーヒーも飲みたい。
自分は結局自分が1番可愛いんだな、と
言い訳めいた日々を怠惰に送ることを
私はいつまでもいつまでも過ごしたいのだ。
大学時代にモラトリアムという言葉を実感して以来、私はそこから逃げられていない気がしている。
久しぶりにゆっくり関西に帰りたいなあ。
友達に会うとかじゃなくて、
住んでいた家を、通っていた大学を、働いていたバイト先を、常連だった居酒屋を、好きだった散歩道を、今の自分で感じに行きたい。
この時期は振り返りたくなるのかもしれないな、今現在の自分を。