自己肯定感の大切さというやつが
某大物カップルの結婚でとりだたされてますが
自己肯定感が底辺の私からすると
自己肯定感がある人が本当に羨ましくて
こればかりは後天的に手に入れるのって難しいと思うのだよね。
小さい頃から褒められず生きてきた人間は
洗脳のように自分の才能が信じられなくて
だから人から好意を持たれることにも違和感を感じる。
その結果こじらせたりメンヘラになったり色々と貞操観念がバグったりするわけだ。
地元の友人から東京に行くから会おうと、珍しく立て続けに連絡があった。
高校の頃の友人はまだ会おうという気になるのだけど、どうにも小中の頃の友人はあまり進んで会う気になれなかったりする。
実際ちょっと時間の管理がうまくできない最近だから、急な誘いは断らざるを得ないのだけど
時間の融通ができないわけではないのに
なんでか融通する気になれなくて
冷たい人間なのかな、と思いつつ
八方美人というか断ることができなくて疲れ果ててしまってたことが何度かあるから
断るときの労力を選んだ方が賢いと思ってはいるんだけど、でもどうにも慣れんなあ。
10年20年前の自分を知る人と会うことは
面白い話も聞けるだろうけど
昔話をしたいわけじゃないし
その頃の自分をあまり覚えていないから
その頃の自分を求められると応えられないしなあ、となってしまう。
飽き性の話をこのブログでしたか覚えてないんだけど、人間関係も飽き性が甚だしいらしく、3年前、2年前とよく遊んでた人と今はほとんど会ってない。
細々と仲良くしてくれる人はもちろん居るし縁が切れているわけではないけれど。
まあ双方環境も価値観も変わるのだから当然か。
梅雨のせいにしたい。
どうにも不調な6月。