最低限の生活には
洗濯機と君とRadio
昔からなぜかコインランドリーが好きで、とくに最近のおしゃれなやつじゃなくて、さびれたコインランドリーが好きだ。
乾燥機でくるくる回っている洗濯物を見るのが好きで、待っている間に本を開いては、たまに回る衣類をじっと眺める。
「コインランドリーが好き」という自意識を持つようになったのは映画『laundry』を観たあたりからで、わたしはあの映画ほどやわらかい優しい映画を知らない気がする。
もともと好きだったけど余計に好きになったんだよな、コインランドリーという場所を。
そんなコインランドリーでいつか写真を撮ってみたいなあ、とぼんやり思っていて、手伝っている会社の広報写真を撮るついでにわたしも撮ってもらった。カメラマンを知り合いに頼んだからできたこと。
狭くて古くてさびれてるそのコインランドリーは、それでもなかなかに利用者が多くて、テーブルも無ければ古びた扇風機しかないところだった。その名も「あかぎれや」。
あえてすごくラフな格好をしたのは、数年後、数十年後に、このときのわたしはこうだったな、ときちんと残したかったから。
髪を切ったあとに撮りたかったし、マツエクも直した後がよかったし、とかもあるんだけど、これでよかったなとも思う。
どこに残すでもないこの写真は
わたしのこの小さなタブレットの中にだけ残る。
まわる洗濯物をずっと眺めていられるのは何故なのか、考えても答えは出ないから考えないようにしているんだけど、思考を止められるからかもしれないなあ。
ただずっと、目を動かすでもなく頭を動かすでなく、その回転を捉えるだけの時間。
わたしの人生の中にはこういう何の意味も持たない時間が多くあるんだけど、その時間は自分にとってすごく必要なものらしいので、今日も今日とてわたしは無駄を愛すのだ。
夏も終わりという8月下旬に真夏の格好で渋谷まで向かっているのがなかなか恥ずかしいのだけど、まあ、2019年で唯一夏らしいことをしに行くわけなので、見逃してもらおう。