真夜中3時 西麻布のホブソンズ2階窓際
子供の頃の特別だった
いまは気軽に来られるでしょ
孤独という名の靴は
履き慣れたら
どこまでもいける自由の靴
自由の靴をわたしは何足持っているだろう。
そのうちの8割はベーシックなスニーカーだ。
なんだかんだと使い勝手的にこのVANSをよく履いている。ちょっと背伸びしてproを買ったのは正解だった、とヘビロテしているいまなら思う。
悔しい気持ちも悲しい気持ちもとかしてしまおう、と歌うice cream talkという曲🍨
自由の靴をそうだと気付かず履き潰していた自分にとてもぴったりな曲だと思った。
気温の変化が激しすぎて、わたしのメンタルもメンヘラ状態だった。まるっとなんの用事も無い日を週に1度は作りたいのに、謎にノンストップで外出が続き、風邪もあって強制的に3日間ほど一歩も家から出ない時間を過ごした。もちろん一言も言葉を発さない。
引きこもり明けの電車はつらい。
人酔いするし、エネルギーが不足しているから貧血も起こす。仕事に行ってもうまいこと口が回らず、それゆえなんだか仕事も回らない。
心のブレーカーが落ちてしまった時は、自然と上がるまで落としたままにするしか解決法がない。
でもおかげで、コンシーラーでも隠れなかった肌荒れが少し落ち着いて、乱れすぎた食生活も少しはマシになってくれた。
書きたいことはたくさんあるのに
書けないままで溜まってしまって
結局どこにも発信されないまま
どこにいくのかなあ、あの子たちは。
わたしは自分の感情を「あの子」とか「この子」と呼ぶ癖があるらしい。
自分の中に何人もいろんな子が同居してるのだ。でも多重人格でもなんでもなく、その子たちそれぞれが独立していて、そして大元のわたしが分身たちをコントロールしている。
この感覚っていいのか悪いのか分からない。
いつだって自分は自分なのだけど、
自分という個人をまた別の自分が見ているわけだから、物事を自分ごと化するのがとても苦手だ。
友達の高校の同級生、という、なかなかに不思議な仲の知人が出ている舞台の音楽を、わたしの好きなアーティストさんが手がけているというのでお邪魔した。
いわゆる西部劇なのだけど、ジャジーポップな感じだったり繊細なピアノだったりで、舞台音楽というものに集中して観劇したのは初めてだったけど、面白いものだなあ。
違う人間になるというのはどんな気分だろう。ものすごく体力がいるだろう。役者さんの熱量というものはとてつもない。
それを伝えると「それに人生かけてる人たちだからね」という返事がサラッとあって、
社会的地位とか経済的余裕というものに蓋をしてしまえば、なんとかっこいい人たちだろうか、としみじみ思った。もちろん蓋なんてしなくてもそうなのだけど、生活ができなきゃ芝居なんてできないし、わたしだって生活のためにものを書いている。
決してうまく交わらない社会的な自分と理想の自分。そんな葛藤をお酒で忘れることは、彼らにもあるんだろうかなあ。