ペトリコール - forget me not -

雨上がりの匂いと勿忘草

わたしたちはいつでもハッピーエンドを待ってるの

le temps qui reste

僕を葬る、という邦題の映画が
まあとにかくわたし好みの映画だった。

起承転結やストーリーがくっきりしている
ハッピーエンドだったり明るい未来を想像させるような映画も嫌いなわけではないけれど

ただただ、物語がいくつくべきところに着地する、そういう映画がわたしは好きだ。

数日間ひとりドラン祭りをしていた。

とても観たい映画はサブスクになくて、どうにもDVDを買う必要があるらしいのが悲しいのだけど、ドランの映画はいつだってハッピーエンドではなくてきれいな終着駅につく感じがする。


わたしはロランスという映画が1番好きなのだけど、それはもう画角や音楽はもちろんのこと色彩が綺麗で綺麗で。

青い服、赤い髪、ピンクの壁。

それぞれが感情のメタファーになって
画面を彩るだけでなく物語に息をさせる感じ。



好みでいうとオゾン監督もとても好き。
オゾン監督の映画はとにかく人が美しい。

僕を葬る、はオゾン監督の作品。

婚約者の恋人とこれくらいしか観れていないので、また映画にどっぷり時間を使いたい気分の時はオゾン祭りをしたい。


自粛期間中、昔見たものも含めて30本くらい映画を観たのだけど、7割くらいLGBTものだった。

これは全く無意識。


思いやる愛情も嫉妬で苦しくなる愛情も同じなのに、家族という名前を得るのにかかる労力がめちゃくちゃ違うのがとても悲しく感じた。



ただ、やっぱり映画を家で観るのは苦手。

スマホもトイレも、飲み物取りに行くのも自由。集中力が全然違う。

なのでなかなか映画モードにならない、モードに入ると凄まじく観ちゃうだけ。


なんでただただ物語が動いて進んで、そのまま大きな失敗も成功もなく淡々と終わる映画が好きなのかを考えると、自分事化しやすいからだろうと思う。


自分が主人公ではない、といつもどこかで思ってる。漫画やアニメも好きになるのは脇役。それが自分に近いから。

だから例えば隕石が降ってきて世界が滅びて、数人だけ生き残って他の星に移住する物語があるとしたら、わたしは生き残らずにあっさり死ぬほうだろうなと思う。


だからあっさり死ぬまでの物語を見たい。

ただそれだけな気がしてる。

thanks for comming! see you.