ペトリコール - forget me not -

雨上がりの匂いと勿忘草

わたしたちはいつでもハッピーエンドを待ってるの

2021、指が動くままに気の向くままに

2021年になってもう1ヶ月経っているのはどういうことなのなろう。書くことが無くて、書く元気もなくて、書きたいと思う感情の揺れもなくて、死んだように生きるのはもうさすがに飽き飽きだ。

本厄なので去年と同じく明治神宮に厄祓いに行った。去年と違うのはコロナの影響である程度簡素化された内容だったことと、去年一緒に行った友人が滅入ってしまってい連絡が取れなくなったこと。


楽しみにしていた予定がなくなることにも慣れてしまって、鈍くなるなという方が難しいのではないだろうかと思いつつ、なんとか1年生きた自分を褒めて欲しい。


正直ここまで仕事に影響が出ると思っていなくて、やっとたまの贅沢を許してあげられるくらいゆとりある生活ができるようになっていたのに、いきなり年収が150万ほど減る計算になる。

なので新しく固定仕事を増やそうと思いつつ、ここまでくるともう滅入ってしまって何にもしたくないと思ってしまう。

何も持っていない自分が新しく仕事を見つけるのはなかなか難儀で、これまでの生き方は若いからできていたことなんだな、と改めて思った。


1人で生きていく気だったのに、それがどうやっても経済的に無理すぎて弱音ばかりの日々をもう何日過ごしただろう。


マスクもいらない、どこにでも行ける、何時まででも飲める。そんな世界線をこの1年で忘れてしまった。


つらつら書いているだけでもこんなに弱音が出るもんだから、人に会うのも話すのも億劫で。


東京に来た初期から今でも仲良くしてくれている友人たちも、会社員であったり結婚していたりというだけでちょっと歪んだ目線になってしまうのだ。


誰がわたしの不安と孤独を知ってくれるんだ、なんて傲慢にも考えてしまう。

誰だって不安も孤独も不満も持ち合わせていることは承知していて、自分よりも大変な状況の人だっていることも頭ではわかっている。


でも今は自分のことしか考えられなくて、そんな自分が嫌で、だから人に会うのも少し憚ってしまう。これもコロナの副産物だろう。


目標や抱負を決め、そこに向かって努力や意識をできたことがない。そういうわけで今年は少し趣向を変えた。


なんせ家にばかりいるのでYouTubeを漁ってばかりしており、そんな中でなんとなく頭に残ったことと、友人のSNSへの投稿を参考にしてみることにした。

①毎月月初にどこかの神社に行くこと。
②筆記開示をすること

これだけ。

①は意識高いどころじゃない次元の違う、よくわからんレベルの、友人というのも失礼な気がするような人がポストしていた内容。

お願いごとをしにいくのではなく、
今月はこれをします、今月もよろしくお願いします。その程度でいいようだ。

気分転換にもなるし、月1ならなにかのついでに簡単にできるだろうと思っているが、果たして継続できるかは乞うご期待。

②は、日記みたいに書かなくていいから、とにかくネガティブな気持ちとかモヤモヤしてる気持ちとか、そういうものを全て書き出すというもの。

書くことで抽象的なものが開示されて、スッキリしたり色々と効果があるようだ。


夜寝る前に元気と余裕があるときは、先日購入した「マイブック」につらつら書き殴ってみたりすることにしている。

今のところ効果はわからない。
10分くらいはやってみろと言われているところを2〜3分でとりあえず書いてるだけだから当たり前なのだろうけど。

こういうのをきちんとやれるようにならないとな、と思いつつ、なんせ元気がない時は片付けも食事も入浴もできないほどに無気力なので仕方がない。


そうこうしてるうちに原稿用紙4枚分くらいの文字を打ち込んでいる。これを仕事に回せたらいいのに。


吐き出す、ではないものを
はやく書けるようになりたい。

thanks for comming! see you.