ペトリコール - forget me not -

雨上がりの匂いと勿忘草

わたしたちはいつでもハッピーエンドを待ってるの

新章開幕から半年を経て

初めてガラケーを持った高校生時分から、あらゆるブログサービスを経て、いまや36歳となるもいまだに何かしらを記録しよう、と思うくらいには、わたしは何かを綴ることが好きらしい。


2025年末、
あらゆる不安を抱えながら、ある種最も安全な方法で生まれてきたのは2,756gの女の子だった。


第一子で両親共に高齢で遠方、パートナーはサービス業の個人事業主ゆえ育休はもちろんまともな休みも週に1回。そして年末は繁忙期。


産院からも役所からも職場からも友人からも心配されまくった産後は、記憶はほぼないがどうやらなんとかなったらしい。

35年間、自分のことだけを考えて自分の好きなことだけを選んできた贅沢な人生は閉幕し、


寝る時間も起きる時間も、トイレもお風呂もなにもかも他人に合わせる人生が開幕し、そしてはや半年。


保育園に入園し、仕事の復帰もした。結構驚きのスピードである。

保育園のおかげで、今のところ人見知りはない。
お腹が空いたときは怒号の混じったギャン泣きをし、眠いときは目をこすり頭を掻き耳も掻く。


恐ろしく育てやすい子だと思う。

ここまで育てやすくて、それでも新生児の頃はホルモンバランスも身体もガタガタで何度か大泣きした。

2〜3ヶ月の頃も大きい声を出したり泣いたりした。

どっちが子どもなのか、と思うほど。


この地域にはこんなに子育て世帯が多かったのか、と気づくようになった。

それまでは見えてもいなかった。意識をしていないから。

エレベーターの無い駅やいつも行列になる駅は嫌いになり、優先エリアを把握したくても色んな車両が色んな時間にくる都内ではそんなこと気にするのも無理だと知った。

引き寄せの法則がある意味嘘ではないんだな、と思う。ここまで見える世界が変わるのだから。

脳というのは省エネにするために色んな景色を意識的に取捨選択して目に写しているのだ。すごい気管だ。


お酒は学生時代ばりに弱くなった。だから飲みに行きたいと思うこともないし、まだ時短勤務の身、話題が子どもになってしまうのも申し訳なくて友人知人に会うのは少し気が引ける。


その分「母」という肩書を持つ友人とはよく会うようになった。

女性はライフスタイルで友人が変わるというが、これは女性特有の気遣いがそうさせている部分もあるのだな、と知った。


これが人生で最後かもしれない子育てという時間

そして今目の前にいるこの子と過ごす時間は紛れもなく一生に一度

自分がそうであったように、徐々に、そして思っているより早く子どもは家から巣立っていく。

加害者になることなく
被害者になることなく
被災者になることなく

妊娠出産というトツキトオカの奇跡を経て
またこれから、たくさんの奇跡の積み重ねが必要になると思うと、心配性とかではなく、きちんと理性的な不安だらけだ。

IFとたらればを持たないですむように
道路を敷くのではなく、少し補正するくらいの
そんな距離感でこの先進むことができますように。


自分は自分が変わったと思わない。
もともとの自分に加わった肩書、そしてその肩書きにいくつか能力が付け足されているだけだ。

でもきっも、周りから見たら変わったように見える部分も大きいのだろう。

さて、いつ閉幕がくるかわからない人生第2幕、堂々と歩んでいこうではないか。

君、人生変わるね。エポックだ。

大好きな『違国日記』という漫画の好きなシーンのセリフです。

エポックとはなんぞや
→それまでの時代とは違った意義、特色を持つ時代。新時代。

元々は機械学習に関する用語で、一つの訓練データを全て使い切って一周したときを1とする訓練データを何回用いたかを表す数とのことです。

前回の更新のあと、35歳を迎え相変わらずのんべんだらりと世田谷の街で暮らしていたのですが

11月末に友人を友人に紹介する!というざっくばらんな飲みの場で友人の高校の同級生なる人に出会い

12月に悪い癖が出てしばらく音信不通をかまし、お正月にお酒や料理を用意してくれていたにも関わらず、大晦日に「やっぱ家に帰りたい」とシャッターが降りる現象をかまし

なんやかんやと2月くらいからほぼ向こうの家に移り住み、3月には住民票も移し、念願の東側の街での暮らしが始まりました。

対話に感情を持ち込まずきちんと情報交換ができ、母数の大きい話は避け極力正しいニュアンスを伝えようとしてくれ、家事スキルも高いのでポンコツな私には本当にありがたい存在で

件の飲みの場の帰り道、改札までの短い距離を会話して歩いた時間がとてつもなく自然で楽だったので、結婚や入籍といった話はせずともなんとなくずっと一緒に居るだろうとは共通認識があり

年齢も年齢なので、人生設計のなかに子供が欲しいという気持ちがあるかどうかを軽く話して

まあこの歳だし自然妊娠はなかなか難しいだろう、ととりあえずピルをやめ、授かれば嬉しい、授からなくても楽しく生活しようという感じで季節が変わり

5月半ばから体調を崩し、消化器内科にかかり胃炎と診断され6月末くらいまで苦しんだわけですが

大災害が起こると予言された7/5、検査薬で新たな命を授かっていることが発覚。そうか、あの胃炎は悪阻だったのねと思いつつ、後日病院に行くとすでに4が月くらいまで育ててしまっていたわけです。


さて、ここまでが7/13に書いていたもの。9/20のわたしが続きを書きます。

初めて見たエコーは、多分一生に一度の、とてつもなく不思議な感情を巻き起こしてくれた。


すでに胎嚢から大きく育ち、宇宙人のような形で対面した命。それを見たときに、どういう感情か全くわからないまま涙がつぅーっと流れたことを覚えている。

川上未映子さんの「君は赤ちゃん」というエッセイにも同じことが書かれていた。

驚きが多かった気もするが、悲しみでも、不謹慎ながら幸せでも嬉しさでもなく、ただその現象に対して当たり前かのような感情と涙だった。


そこからは何もわからないまま

区役所に行き母子手帳をもらい、産院を探し、
だいぶマシになったとはいえ、自覚したせいか体調もよかったり悪かったり。

マタニティハイなんて幻ですよね?と言わんばかりに、テンションも何も変わらず冷静な自分と、体調不良や身体の変化を替わってあげることができないからと、身の回りの色々を、これは妊娠前からだけど率先してやってくれるパートナー。


とにかく穏やかな、もしかしたら今後何十年かは訪れないかもしれない穏やかな日々が幕を開けた。

契約していた脱毛サロンやピラティスの休会手続きをし、会社に報告し、必要な申請などを調べつつ、

お互いの両親への挨拶も済ませることができ、

出産準備は全くしていないながらも、無事安定期を迎え、季節は秋になろうとしている。


自分が誰かと生きていくなんて、ましてや子供を授かるなんて夢にも思っていなかった。


どちらかというと望んでいなかったし、どちらでもいいというスタンスだった。
授かっていなければ籍を入れるという話もしていないだろうと思う。必要性を感じていなかったから。


これからの人生を一緒に過ごすことになる人の人生の中のひとつの希望的なものを、叶えることに協力できたことは嬉しく思う。


そしてこういうことが無ければ知り得なかった色々を知ることができることには感謝もしている。



自分に今後なんらかの変化が起こるかは分からない、多分基本は変わらないのだろうとも思う。


それでも、わたしという人間個人が、個人のみを尊重し自由に生きてきた35年(実質17年)の人生は、一旦ここで閉幕。


これからは個人の人生に、家族という単位の人生がプラスされる。今はその中間といったところだろうか。


それでも紛れもないエポックだろう。

私のガーデン 果てるまで

花は咲いては枯れ
あなたに心奪われ
それでも守り続けたくて
私のガーデン 果てるまで

高校生の頃に必死こいてホムペなるものを作り(そこで学んだhtmlは社会に出てからも役に立った)、そこからクルーズ、アメブロ、デコログなど様々なブログサービスが流行りました。


消えてしまったサービスも多く、昔の自分と再会できないことが寂しかったりもします。黒歴史ほど愛しいもので。

頻度こそ下がれど、実は未だにブログは続いていたりします、はや20年。

続けられることや、世の中全員当たり前にできると思っていることは実は特技や才能と言える、と思っていて、困ったことにうまいとか下手とかお金になるとかそういったことに繋がるかは別の話なのだけど。

誰にも言えないことや誰に言うでもないことをつらつらと受け止めてくれたブログって、特技というか人生の伴走者的なものになってるんですよね。
アンネの日記というにはしょぼくれているけども、でもなんだかそんな感じ。


スレッズには残しづらかった独り言をこちらで消化、昇華。

この街じゃ愛はゴージャス

知り合い以上友達未満ばっか増えてく
この街じゃ愛はゴージャス

ずーっと書いてないな、と頭の片隅に存在だけあったこちらのブログ、久しぶりに書いたら今年まだ2回目でした。いかんなぁ。

なぜ書こうと思ったかというと、珍しく映画も美術館も銭湯も読書もする気が起きなくて、

休みの日は本気で1日中ベッドの上から動かない。
寝たり起きたりをただ繰り返している。


気になる映画はちゃんとあるのに、どうにも映画館に行こうという気がしないのだ。行けばきっとそれが起爆剤になってたくさん行くようになる気もするが。

まあそんな状態なので、せめて筆でも取るか、という気持ち。


2024年もあと2ヶ月をきっているが、今年なにをしたかというと本当になにもしていない。

時間の感覚がズレていて、仕事というか業務内容が変わったがゆえの変化は多々あれど、その1番大きなあ変化が「文章を書かなくなった」ことである。

だからついこのブログもなおざりにしてしまっている。

逞しくなった気はする。
年々逞しくなってはいるが、なんだか今年は地に足のついた逞しさに近い。


図太くなったとか図々しくなったに近い。
この図太さは鈍さに似ていて、そうだなあ、鈍くなったんですね。書いてて気付く言葉のニュアンスの違い。

この鈍さというのは
私がとてつもなく共感性に欠けだしたことから起因している気がする。

MBTI診断が浸透してきてからというもの、わたしは「INFP(仲介者)」と「ISFP(冒険家)」という変貌を遂げ、2021年とかくらいからはずっと「INTP(論理学者)」だ。

I(内気で陰キャ)とP(計画性がなくマイペース)が変わらないあたり流石だなぁと思いつつ、前者2つとも当てはまることもあればしっくりこないこともあった。

後者になってからはしっくりきすぎて、私がその性格に寄せられているのでは?と思うほどである。


東京に慣れ出して友人関係も変わり始めた2018年頃からコロナ禍、そして落ち着き始めた2023年以降の自分というのはかなり変貌していると思う。

生活というか暮らしぶりとか見た目になんら変化はなく、ただただ図太くなった。


共感性が欠けるのは困ることもままあり、興味関心がないことには顔に出るくらいつまらない態度を出してしまうし、価値観や考え方が違う人に対して何か思うことはないが「違う星の人だな〜♪」と乱暴にその人のことを知るという行為を放棄してしまう。

なにかしらを押し付けられようもんならシャットダウンするか「人それぞれだから」と冷たい笑顔で言い放って金輪際会いたくないと思う。


そういう残酷さとまではいかないが、人をどんどん遠ざける逞しさは持ち得てなかったように思う。

自分から近づくわけでもないのに勝手に遠ざけてしまうあたり、いやな図太さを培ってしまったものだ。


ただ、生きるのは非常に楽なので
私の人生の最適解はこれなのでは?と、なんとなく今の自分を正当化して納得させている。


去年の2月だかなんだかに、あれだけ愛されていることへの幸せを噛み締めていた私はどこへやら。

いえいえ感謝もしてるしわたしもとても愛してますよ。

でもやっぱり愛せないものもある、と
中年になってようやっと学ぶものもあるわけです。

さて、相変わらず日常の記録ではなく頭の中に流れている思考というか雑念を文字にするだけの内容になってしまった。

できるだけ、年に1〜2回くらいは
備忘録としてなにかしら残したいのだけれどね。

2024年の始まり備忘録


1日2日、とくに1日は大海運日と分かっていても体が重くて眠くて眠くてずっと寝てたし、そしたら能登半島地震津波、自然災害があってなんだか気持ちも暗くなった。

2日も同様になんにもする気が起きなくて、自分でも怖くなるくらい眠りに落ちていたら、今度はJALの航空機と支援物資を運ぼうとしていた航空機が衝突。

テレビがないぶん、わたしはまだニュースの詳細を知らないが、ときたま流れてくる写真は信じたくない光景だった。


燃える飛行機(それでも亡くなった方が少ないのは奇跡的だと思う。どれだけ怖い思いをしただろうか…)、倒れた家々。


3日、動こうとしたけど全然だめ。

なんとか電車に乗ろうとしたら遅延してるし、それでも間に合いそうと思った電車はなぜか目の前で発車していった。

これが本当に謎で、いつもなら歩いて降りるエスカレーターをなぜか時間にとても余裕があると思い止まっていたのだ。

いつもは時間に余裕があっても歩くのに、だ。


駅について映画館に向かったはいいものの、なぜかいつもと違う道を選んでしまい結局遠回りになり、もうやる気がなくなり映画はやめて神社にお参りすることにした。


現地についてからそこは予約制ということを知り、もう一つ行こうかなと思っていた弁財天様に参った。

唯一の救いは弁財天様の神社がとても良い神社だったところだ。ここはまた違う寅の日にも参りたい。

白蛇様に美しい弁財天様、そして龍神も祀られている。


結局また新宿に戻り、喫茶店に行ってみようとしたら営業中となっていたのに今日まで休業。


仕方なくスタバに来たら注文を間違えられていて、レジでは確かにイングリッシュブレックファーストティーと言ったしお姉さんもそう繰り返してくれていたのに、でもレシートにはアールグレイティーラテとなっていて提供されたのもそれだった。

なんだらうな呪われてるのかな。


31日に日枝神社から帰った後も電車は30分以上遅延(人身事故)していたし、31日の午後もやたらと救急車の音を耳にした。


2024年はとても楽しみにしていた。
だからこそかもしれないが、怖い、暗い、沈んでいく。

thanks for comming! see you.