ペトリコール - forget me not -

雨上がりの匂いと勿忘草

わたしたちはいつでもハッピーエンドを待ってるの

こっそり瞼の裏ひそんで

あらわれるなんて昼下がり

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最高なイベントだった。これは音楽ブログの方に書こう。VISIONの音楽イベントなら1人でも行ける気がしてきた。

 

終電で渋谷に行くなんて去年の同じVISIONのイベント以来。渋谷TSUTAYAで待ち合わせして、背の高いイケメンいるなーと思いつつエスカレーターで追い越して、TSUTAYA前で友達を待ってたらそのお兄さんが「人待ってるんですか?」っておずおずと話しかけてくれたのに、チキン発揮して「もう来るので…!」って逃げた私です。2019年最初の後悔。

 

そんなこんなで目当てのアーティストの出番がまさかの3時半から。その時間には出て朝までやってるカフェで仕事しようとしてたのに、バッチリ朝まで居ましたよ、と。

 

で、ストーリーあげてたのよねインスタで。そしたらまさかの人から反応が来て、なんかもうそれだけで心ここに在らず。

 

最近連チャンで夢に出て来て、なんでだろう、なんでかな、なんだかなぁ、って思ってたところにこういう爆弾やめてほしいなあ。

 

こういうふうに好きに遊んで暮らしていると、どうにも地に足がつかなくて困る。

 

結婚だって出産だってしたくないわけじゃないんだよ。でも優先順位を変えることがどうしてもできない。

 

旅行やウィンタースポーツなんかにとんと疎い私が、唯一趣味だと言えるものがエンタメカルチャーで、その中でここ数年は音楽がトップに君臨してるから、それを揺るがすのはどうにも難しいな、なんて思っちゃうんだよ。

 

今だって目先の悩みは仕事の締め切りと春の音楽フェスのチケット代の捻出とスケジュール調整だもの。

 

愛だの恋だの洒落てんな

地下鉄は酒の匂いとため息が

なんて素晴らしき世界

誰もがいかれてる瞬間

クリーンな僕がどうかしてるよ

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愛だの恋だの洒落てんなって、なんかいまめっちゃ分かるなぁー。洒落てんなあ。そんなことできませんよシラフじゃあ。

自分の時間と自由を愛だの恋だのと天秤にかけて、さて前者は空に近づくでしょうか。答えは今のところ否。圧倒的な独占欲や興味関心が乗っからないと空は遠い。打算や妥協なんて悪あがきで息を吹きかけてみるようなもんだ。

 

なんて朝帰りの電車で書いているわけです。2019年朝帰り4回目だな。どれも終電逃して朝まで飲んでただけだけど。週1朝帰りとかどんだけ飲んでるんですかってね。

 

2018年の末から2019年の今、まあ約1ヶ月経ってなんだかネタがちまちま増えてるのだけれども、どれもこれも傾かなくて困っている。自分がふわふわしているのがいけないな。とはいえ1人で自由に動ける生活を自分でしているわけなので、ふらふらふわふわしたいのよ。  

 

夏に浮かれていたあれこれはどこに行ったのだろうかなあ。なんだか遠い昔の出来事のようだ。

 2019年早くも1ヶ月が終わるけど、そのほとんど部屋が荒れてて生活もダラダラだった。おかげて2月頭の締め切りまでなかなかハードワークが続く。

あの日に恋をしてたディスプレイ

ありのまま生きれたらなんてこと言っても

いつのまにか始まって終わるんだ

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好きな映画館で見逃した映画祭をやっているのだけれども、日時が細かすぎて結局見逃し続けてしまう。でも来週も観たい映画があって、なんだか2018年あまり観てなかった反動がきている。 

 

もらってる仕事の単価が少し上がって、年末滞ってた案件もようよう動き出しそうで、とりあえず一安心な年始。相変わらず締め切りギリギリ前にならないと動けなくて、月に2,3回は徹夜染みたことをしてしまっている。

 

11月、12月と節制してた反動で、馬鹿みたいに買い物をしてしまった1月。引っ越ししたいとか言いつつ、目の前の欲望に負けるのはどうしたらいいんだろう。きちんとKPIを設けなきゃいけないか。具体的な数字出さなきゃダメか。

 

2019年に入ってから、脳みそに新しいものが色々ブッ込まれてる。色々というか音楽だけなのだけど。行くライブに出るアーティストのプレイリストを作ってシャッフルしているうちに、これいいなアレいいな、って。

 

映画に音楽に、スタートダッシュ切り過ぎてる気がするけど、浅草寺のおみくじは凶だった。あそこは辛口らしいけど。

 

帰省は相変わらずつまらなかった。

帰った足で友人に会い、実家に帰ってからは足が無いからひたすら引きこもっていた。そこで仕事を片付ければいいものの、なにをしていたんだろう。 

 

久しぶりに関西に行きたいなと思いつつ、行ったところでやりたいことは思い出を巡ることくらい。昔を懐かしむことは悪いことじゃないけれど、昔を惜しむのはダメだよな、なんて思いながら、そういえばしんどいときは斉藤和義の「幸福な朝食 退屈な夕食」を聴いていたな、なんてことを思い出す。

 

今歩いているこの道が

いつか懐かしくなればいい

今歩いているこの道は

いつか懐かしくなるだろう

 

 

いつか懐かしくなる日を待って待って。

だから私は昔を懐かしむ日が好きなのだ。

 

 

とはいえ、20代はあと10ヶ月。

何を為そうか。

 

 

2018年はたくさん好きなものができた

30歳を前にして思うのは、

人でもモノでもアートでもサービスでもカルチャーでも、体が動くほどに何かを「好き」になることはとても難しいということ。

 

2018年、わたしは沢山のものを好きになった。

きっと人生を振り返るとき、この1年のことは「心が忙しい1年だったな」と思い出せるだろう、と思うほどに、沢山心が動いた。

 

冬⛄️

1月から3月にかけて、仕事を終えて夜遅くからよく一緒にお酒を飲む人が居た。

仕事が終わるのが相当に遅く、でも酒量は可愛げのないもので、お酒をよく飲んだ2018年は、ここで鍛えられたせいかもしれないとさえ思う。

 

今まで関わったことのないタイプの人で、話を聞くのは楽しかったし刺激にもなった。珍しくビジネス書なんか読んだりするようにもなった。結局、振り回されて疲れて、自然と関係が遠のいたのだけれども。

 

「時間」に対しての価値観が大きく変わった。

 

 

春🌸

これまた今まであまり関わったことない人と出会って、わかりやすく春めいた時期を過ごしていた。田舎から出てきた女子大生かよ、ってテンションで。

 

服が好きになった。

好きな系統はあったけど、あくまでも自分に合いそうな系統を着ていただけだったのに、ビンテージに興味を持つようになって、instagramもアパレルを沢山フォローして、毎月ファッジを買うようになった。

 

自分の好きなコーディネートができた日は、少し遠回りして帰るのが好きだった。

好きな服を着ているだけで、街を歩くことがとても楽しくなった。

 

そして深煎りのコーヒーが好きになった。

それまで浅煎りが好きだったのに、よく行く街にとても美味しいコーヒー屋さんがあって、そこが深煎りを出すお店だったのだ。すっかりハマってしまった。今でもたまに飲みに行く。

 

 

夏🏄‍♀️

とにかくお酒ばかり飲んでいた。

ワインも日本酒も飲めるようになって、ビールもめちゃくちゃ好きになった。

 

フェスにも行ってSIRUPを好きになった。この夏以降、わたしの音楽の好みがロックからオルタナ、シティーポップ寄りに変わった。

 

それから髪を切った。

元々ショートヘアだったのに、それを10センチくらい切った。そんな髪どこにあったんだろうってくらい切って、前髪も切った。 

 

 

 

秋🍁

とにかく気分が沈んでいた日が多かった。

29歳になって、たくさんお祝いの言葉もいただいてとても幸せな日もあったのだけれども、たまに訪れる容赦なくブレーカーが落ちる日が長く続いた。ただ不機嫌が去るのを待つばかりの秋だったように思う。

 

でも、ちょっと奮発してトレンチコートを買った。このトレンチコートを着て出かける日は、わたしはいつだってランウェイを歩くような気持ちになれた。

 

そしてまたいくつか出会いがあった。

どれも楽しい友人関係になっている。

 

 

そしてまた次の冬がくる。

こうして書き連ねると、本当に沢山のものに心が動かされた、とても濃い1年だった。

 

2016年、2017年と、実はあまり良い年を過ごせていなかった。2017年に至っては「滞」が私の今年の1文字になってしまったほどだ。

 

2018年は「変」。

好きなものができた、新しい人との出会いがあった。それが私を少なからず変えてくれた。

 

働かさ方も変わった。それもとても大きい変化だけれども、日常で心がたくさん動いたことが嬉しい。そんな1年だった。

 

 

20代最後の1年は、なにか起こるかな。

 

なにか起きていることに気付ける自分で居たいと願いながら、睡眠不足気味だった最後の平成の年末とサヨナラしたいと思います。

 

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good bye,2018!

たくさんの好きを与えてくれてありがとう。

 

 

 

僕たちの簡単な孤独

思い出とかも Tシャツとかも 灰皿とかも

綺麗にしてさ

少しだけでも 忘れてみたい

預金残高 と 君のこと

 

だんだんなんでも慣れていく

僕たちの簡単な孤独

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うっかりしていたら12月も後半になってしまった。忙しいかったか?と問われるとそんなことはなくて、ただ心がガス欠している毎日だったので、シャツ1枚で過ごしてた時期からトレンチコートの季節になって、ダウンコートの今に至るわけでございます。

 

その間にあったことといえば

29歳になって

ワインとかチョコレートとかコスメとか貰って、人生でやっと初めてディズニーに行って、だから友達とちらほら会う予定がたくさんあった、そんな感じでした。

 

ブレーカーが落ちるかのように冴えない日々が多くなっているのは、私の部屋が散らかっていることが大きな理由。そして片付ける時間があまり無いこと。違うな、片付ける気力すら無い。でも片付ければ物理的にも精神的にも風通しが良くなることを、これまでの人生経験で知っている。はずなのに。

 

2018年がもうすぐ終わる。

人生を線で見たときに、その線を繋ぐ点のひとつになるであろう1年だったな、と思う。

 

別段変化があったわけではないけれど、なんだかとても良い意味で人に振り回された1年だったからだ。ほんとうに良い意味で。どんどん頑固に、どんどんマイペースに、どんどん気分屋に拍車がかかる自分。振り回されてよかった。

 

28歳と29歳の境目が分からないまま、きっと2018年と2019年の境目も曖昧なまま新年を迎えるのだろう。

 

やり残していることは髪を切ること。

それでなにか変わることはないだろうけど。

 

 

忘れたい君は特にいなくなった。

預金残高のことはいつだって忘れたい。

慣れていく、僕たちの簡単な孤独。

 

わたしの孤独もとても簡単だ。 

お酒や映画で誤魔化せる程度の。

 

孤独を難解だとか簡単だとか、そんなふうに言えるようになるにはどうしたらいいんだろう。孤独は孤独という現象の名詞であって、そこには大小も優劣も何もないはずなのに、たしかに種類は色々あって、面倒だったり難解だったりするよなあ、なんて思う、まだ少し暖かい冬。

 

 

 

thanks for comming! see you.