ペトリコール - forget me not -

雨上がりの匂いと勿忘草

わたしたちはいつでもハッピーエンドを待ってるの

8センチのピンヒールで駆ける恋

歩幅を合わせて歩いた

転ぶと分かっていたけど

痛みも忘れてしまうの

あなたは優しいから

 

8センチのピンヒールで駆ける恋

ねぇ 私のこと全部分かるって言ったけど

あなた何も見えてなかった

この涙はね あなたの全てを盗むため

真っ白いハンカチにつけた染み

 

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チャットモンチーが解散って聞いて

ああ、わたしのひとつの青春が終わるんだなって、30歳手前にしてまだそんな甘いこと言ってるのかってなるんだけど、そんなことを思ってます。

 

もう年明けてから色々ありすぎて、

色々あったがゆえに書きたいことが沢山で、

それはわたしが書くことで頭の中や心の中を整理しているからで。

 

頭の回転が早いと勘違いされているけど

ぜんぜんその逆で

言葉を咀嚼しないと飲み込めなくて、

だから返す言葉も紡ぎださないから、

時間のかかる「書く」作業がいるだけなんだ。 

 

 

質問ある?という言葉が苦手。

質問できるほど理解できていないから。

 

 

8センチのピンヒールなんて、

もう10年近く履いていない。

 

大学の頃はヒールばかりだったのに、

今ではたまに履くヒールにあくせくしている。

それもたった3センチや5センチで。

 

 

頭で分かっていることができない不思議。

 

絶対安全な道が目の前にあって

でもわたしはその道を踏み外さずに歩いていく自信がなくて、むしろ踏み外す自信ばかり湧いていて、

 

絶対ハッピーエンドにならない道が

何がゴールかも分からない荊だらけの道が

少し余所見したらそこにあって、

面白半分で足を踏み入れたら、荊に絡まって痛くて身動き取れなくなったりして。

 

 

大切にされるとか、大切にするとか、

具体的にどういうことかが分からない。

 

 大切にされるってなに?

大切にされるにはどうしたらいいの?

 

大切にするってなに?

大切ってなに?

 

8センチのピンヒールは今にも折れそうだ。

 

2018.02.04 19:40 渋谷の片隅

 

関東に出てきてから

自宅以外で過ごす時間が1番長い街は渋谷だ。

 

いつのまにかどこに何があるかが把握できていた。お気に入りのコーヒー屋さんや映画館もある。表参道への行き方も、代官山への行き方も徒歩でわかる。

 

お世辞にも綺麗とは言えない街。

人混みと音と光で埋め尽くされている街。

 

 

28歳のわたしにはいささか若い街だと思う。

 

 

でもわたしはこの街が好きだ。

 

 

ただ通り過ぎて行く人混み。

その人混みの中はなんだかホッとする孤独。

 

 

他の街に比べて雑多なこの街は、

目的もなくふらふら歩いている

寄り道しながらふらふら歩いている

そんな人たちばかりだ。

 

その右往左往をする人混みの間を

コートのポケットに手を突っ込んで

風を切るように1人颯爽と歩くのが好きだ。

 

 

この街で

目的地にまっすぐ歩いて行ける自分が

なんとなく好きだ。

 

地に足をつけて

わたしは生きていて、歩いていて

その先には目的地があって

 

そんな当たり前のことを

思い知ることができる街。

 

きっと違う街が拠点になれば

わたしはその街のことも好きになるだろうけど

 

初めて自分で開いた道のある街は

一生特別な街なのだろうという予感もある。

 

 

この街に埋もれることが心地よい。

 

誰もわたしを知らない

誰もわたしに足を止めない

誰もわたしに興味を持たない

無色透明な自分と

無色透明な他人の群れ

 

 

人混みの中の孤独という

妙な安心感と絶妙な不安感が

身体の中に染み込んでいく感覚。

 

 

電車を降りると同時に上げるイヤホンの音量。

人混みを通り抜ける歩幅は狭く、けれど足早に。

 

今日もわたしは無色透明だ。

 

 

 

僕ら同じ気持ちなのかい?

ヘイ 見たいな your mind

お互いにもっと知りたいんだ

STAY 今じゃ too far

あと少し 素直になれば

 

ヘイ 未来の到来

君の感覚をちょうだい

ヘイ 未来は too lie

同じ体温で眠りたいよ

 

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2018年まだコーヒーはじめをしていない。

初詣も行ってないし、なんなら体調不良になったりして、調べてみたら今年は大殺界だそう。

 

でもさ、来年から前厄、本厄、後厄と続くのに、今年大殺界って、あんまりじゃないですか神さま。

 

クリスマスも年末年始も引きこもってたから

キリストにもブッダにも見放されたのかしら、なんて思いつつ、2018年がはじまりました。

 

 

最近ずっとフレンズを聴いている。

ここ5,6年はラブソングに共感しなくて困ってたのだけれども、タイトルと冒頭にもってきているこの「NIGHT TOWN」には、久々にちょっと共感した。 

 

寝つきが非常に悪いわたしにとって、

同じ体温で眠れるって(できることなら物理的にも精神的にも)、結構夢みたいなことだよなぁ、なんて思ったり。

 

 

部屋を掃除しなきゃなあ。

自炊もしないと。

あ、眉ペン無くなりそうだったんだ。

芳香剤変えたいな。

 

そんなことを思いながら

でも行動にはうつせないまま

今日も今日とて眉ペンをゴリゴリ酷使。 

 

 明日は映画を観に行きたいなと思ってるけど

どうかな、気分次第かな。

 

 

なにか気分を変えることをしなくちゃいけない気がしてる。

でもなんだか掃除も自炊も気が乗らない。

 

ずっとこんな感じだ。

嵐の前の静けさだろうか。

 

 

と、ここまで下書きしていて

結果、コーヒーはじめは渋谷のroasted coffee、そして映画はじめも渋谷のヒューマントラストシネマで済ましてきました。

 

カフェラテと映画『勝手にふるえてろ』。

映画あんま期待してなかったんだけど、面白かった。あれよく寒い空気にならない脚本書けたよなって思う。

 

黒猫チェルシー渡辺大知さんがバリ演技うまくてびっくりした。笑

居るよな、こういうちょっとうざい奴。って思うし、最後の「何か分からないのが好き 」みたいな支離滅裂だけどその通りだよなって台詞を叫びながら伝えてくれるとことか。

 

 

無くなりそうだった眉ペンも買って、

まあ部屋も埃は掃除しましたくらいになって、

 

ゆっくりゆっくり馴染ませるのだ、2018年のこの世界に。

 

NEW ERA

Turn  up the radio

流れ出すmusic so fine.

 

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2017年終わりますので

だらだらと書き連ねていこうかなと。

 

充電兼ねて高校時代の溜まり場でもあった岡山駅構内のスターバックスからお届けします。

 

まあ高校時代なんて時給780円とかそんなもんで、しかも22時までしか働かなかったわけで、基本お金無いわけよ。でもイキってスタバに来てた。マクドは高1で卒業したとか思ってた。

 

23歳頃までのわたしは

今よりもとにかく周りの目が気になって

自分という我はそれなりに強いのに

付和雷同してばかりの人間だった気がします。

 

25歳頃までのわたしは

周りの目なんて気にする余裕もなくなって

自分は自分、他人は他人、と開き直って

 

そして25歳からのわたしは

自分の好きなものばかりを吸収する

頑固でワガママな人間になったと思います。

 

なんだかどんどん逆走しているみたい。

大人になるということは

自己責任でもって

子供になっていくことなのかもしれませんね。

 

 

なぜ自分の昔を振り返ったかというと

2017年あんまり覚えてないんですよね。

 

というのも

12月中旬を過ぎてからというもの

忙しすぎて部屋も散らかったままで

睡眠時間も足りないまま帰省してきたので

 

頭がまわらんわけです。

 

 ただ良い1年では無かったことは確か。

 

もちろん良いことたくさんありました。

友達が結婚したり

友達に子供が生まれたり

誕生日たくさんの人に会えたり

ステキな映画や音楽にも出会えたり。

 

でもなんか

自分自身になにがあったかというと

ただ日々を消費してただけだなぁと思うのです。

 

 

だからタイトルをNEW ERAにしてみたわけです。

2018年は自分に変化が起きるように。

 

 

別にね、なんにもない日々や年が悪いとは

全く以って思っていないんです。

 

台風の目みたいな毎日があっても

停滞する寒冷前線みたいな日々があっても

 

それはそれで無駄じゃないと思うんです。

 

無駄遣いという贅沢が

わたしは昔から嫌いではないのです。

 

でもさすがに多すぎる無駄遣いはどうかしら、とも思うのでね。

 

 

年内にすべりこみで

本棚を整理して髪を切った。

 

私のアイデンティティーを具現化したような本棚はすっきりさっぱり姿を変え、肩まで伸ばしていた髪はまたショートに戻した。

 

変えたり戻したり、なにがしたいんだろうな、と思いながら。

 

 

停滞しているわたしの頭と心が

どんな変化をしていくのか

2018年は自分を大事にしてみようか。

 

 

自分勝手に自分の好きなものばかり摂取していますが、2017年はあまり自分に寄り添っていなかった気がするんです。

 

 

忙しさにかまけていたというか。

 

 

だからちょっとくらいね、

自分にかまけてみてもいいかな、明日から始まる来年は。

 

 

ラジオをつければナイスなミュージックが流れる。

iPhoneをさわればフェイバリットナンバーが流せる。

 

それだけで上出来なわたしの世界に

もっともっとかまけてみますか。

 

 

そういえばやっとAmazon Prime始めたのに

Prime Musicに欲しい音楽が全然ない。

 

悲しいかな、でもわたしはそういう音楽が好きなのだ。

 

 

音や文字や映像を愛する理由のひとつに

自分が求めているものがそこにあるから、というものがある。

 

 

甘いものとか辛いものとか

食べたくなるようなもので

 

何が正解とかはないのだけど

ただ無闇矢鱈に音や文字や映像を摂取したくなる。

 

大概そこには

今の自分が求めている何かが隠れていたりするのだ。

 

何かが何なのか、それが分かることは稀なのだけど。

 

2017年お世話になりました。

 

 

迷子のだれかさん

迷子の 迷子の 迷子の 誰かさん

ギターがあるならうたを歌おう

ギターがないなら手を叩こう

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ミニシアターと呼ばれる場所へ

久しぶりに足を運んだ少し前のお話。

 

だいたい映画は渋谷か新宿が多いのだけど、

この日は珍しく横浜の歓楽街付近にある映画館、ジャックアンドベティへ行ってきた。

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ミニシアターのなにが好きって

窓口で愛想のない店員さんから券を買って、整理番号順に適当に入って、少し後ろの方の席に腰をおろして、小さい劇場をゆっくり体に馴染めていくのがたまらなく好きなのです。

 

大きい劇場はなんだか忙しなくて、苦手。

 

ジャックアンドベティは

ジャックとベティという2つのシアターしかなくて、劇場の中も小汚くて少し猥雑。

 

でも中には公開される映画情報や

申し訳程度のフードやドリンクが販売されている。

 

 

観に行ったのは「南瓜とマヨネーズ」。

原作は魚喃キリコさん。

 

魚喃って読めなくて、調べたら"なななん"だってさ。読めるかよ難しいよ。

 

ずいぶん前に観た好きな映画、

strawberry  short cakes の原作者でもあって

 

臼田あさ美

太賀

オダギリジョー

なんていう私的にはたまらんキャストなので

家の最寄駅をすっとばして劇場に行った。

 

良い意味でThe・邦画って感じだ。

 

邦画って毛嫌いする人多くて

だからわたしは1人映画ばかりなのだけど

 

起承転結もストーリーも曖昧だから

苦手な人が多いのもよく分かる。

 

なにが言いたかったのか分からんとか

そう言われたらわたしも答えられない。

 

邦画ってそういうものだと思うのだよ。

 

誰かの人生を

まるごと覗き見するような。

 

その人生の瞬間瞬間に

共感したり感動したりするような。

 

 

南瓜とマヨネーズ

ダメな男とダメな女が

ずるずるだらだら生活を送っていく中で

 

お互いへの思いやりとか

愛情とか

嫌悪とか

生活に入り込む第三者とか

 

そういう

よくある

ごくごく普通の

でも継続するにはそれなりに努力が必要な

そんな日常が淡々と描かれていて

 

やくしまるえつこさんがつくって

太賀がアコースティックギター1本で奏でる

「迷子の 迷子の 迷子の 誰かさん」

という歌詞が

 

臼田あさ美演じるツチダと

太賀演じるセイちゃんと

オダギリジョー演じるハギオと

 

そして観客席にいる一人一人に向けられているようで

 

優しい優しい映画だなと思う。

 

 

南瓜とマヨネーズって

手を加えないと和えられないけど

和えたらとっても美味しいわけで

 

手を加えるという行為を

間違えたり遠回りしたりしながら

それでも繰り返していく日常の

難しさともどかしさと愛しさと。

 

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これはわたしの好きなワンシーン。

ストロベリーショートケイクスのほう🍓

 

 

なにも苦しいことのない

こんな簡単な始まりでも

そのうち

すごく好きになったりし合えるのかな

 

あのひとはわたしが必要で

わたしはあの人が必要っていう

そんなふうになれるかな

 

 

誰もが1度は思うような

不安と期待と惰性が

このシーンに詰め込まれてるよね。

 

 

thanks for comming! see you.