ペトリコール - forget me not -

雨上がりの匂いと勿忘草

わたしたちはいつでもハッピーエンドを待ってるの

2024年の始まり備忘録


1日2日、とくに1日は大海運日と分かっていても体が重くて眠くて眠くてずっと寝てたし、そしたら能登半島地震津波、自然災害があってなんだか気持ちも暗くなった。

2日も同様になんにもする気が起きなくて、自分でも怖くなるくらい眠りに落ちていたら、今度はJALの航空機と支援物資を運ぼうとしていた航空機が衝突。

テレビがないぶん、わたしはまだニュースの詳細を知らないが、ときたま流れてくる写真は信じたくない光景だった。


燃える飛行機(それでも亡くなった方が少ないのは奇跡的だと思う。どれだけ怖い思いをしただろうか…)、倒れた家々。


3日、動こうとしたけど全然だめ。

なんとか電車に乗ろうとしたら遅延してるし、それでも間に合いそうと思った電車はなぜか目の前で発車していった。

これが本当に謎で、いつもなら歩いて降りるエスカレーターをなぜか時間にとても余裕があると思い止まっていたのだ。

いつもは時間に余裕があっても歩くのに、だ。


駅について映画館に向かったはいいものの、なぜかいつもと違う道を選んでしまい結局遠回りになり、もうやる気がなくなり映画はやめて神社にお参りすることにした。


現地についてからそこは予約制ということを知り、もう一つ行こうかなと思っていた弁財天様に参った。

唯一の救いは弁財天様の神社がとても良い神社だったところだ。ここはまた違う寅の日にも参りたい。

白蛇様に美しい弁財天様、そして龍神も祀られている。


結局また新宿に戻り、喫茶店に行ってみようとしたら営業中となっていたのに今日まで休業。


仕方なくスタバに来たら注文を間違えられていて、レジでは確かにイングリッシュブレックファーストティーと言ったしお姉さんもそう繰り返してくれていたのに、でもレシートにはアールグレイティーラテとなっていて提供されたのもそれだった。

なんだらうな呪われてるのかな。


31日に日枝神社から帰った後も電車は30分以上遅延(人身事故)していたし、31日の午後もやたらと救急車の音を耳にした。


2024年はとても楽しみにしていた。
だからこそかもしれないが、怖い、暗い、沈んでいく。

無邪気な笑顔が降るように

僕等の前にもう少しだけ楽しい未来が降るように
あなたの前にもう少しだけ無邪気な笑顔が降るように
今日よりも 現在よりも

2023年は不思議な不思議な年でした。

他の人から見れば何の変化もない1年。
仕事も変わってないし、相変わらず独身だし、ずっと黒髪でショートヘアだし。

2月に自分の根本的な問題である家族へのわだかまりが少し変化して、こんなにもわたしを愛してくれている人たちが居たなんて…という今更すぎることに気付き、実感し、自分にとっての「愛」が大きく広がった。

3月と5月には米軍基地の開放日に横須賀と福生へお出かけ。この辺から自己開示をすることが多くなった気がする。

8月は今年1番お世話になった友人と週1〜2であって(予定を立ててたのは2度だけ)、この辺からわたしのスピが始まる。

珍しく静岡に旅行に行って、このときは食欲不振でややカリっと。学生時代から出不精で大人数嫌いなのに、なぜかすんなり参加を決めた旅行でした。

9月10月は赤線地帯の向島を散歩したり、出雲大社へ旅行したり。

出雲大社、ほんと心臓掴まれてる感じでめちゃくちゃ貧血っぽくなった。パワーが強い。すごい。

幼馴染親子に数秘鑑定をしてもらい、やっぱり親子関係とか家族仲が自分のキーワードだと認識。

親と電話することも増え、なんなら親もちょっと変わり出してる気がする。方向性は違うかもしれないけど。


11、12月は忙しかった。

件のお世話になった友達がお誕生日をお祝いしてくれ、当日はのんべりだらりと過ごした。

仕事の業務が少し変わって、まだ本格稼働できてないけど外に出ることが増えた。

友人のポップアップやら忘年会やら、なにかしら人に会う機会も恵まれて。

そういえば11月くらいからわたしのスピの方向性が少し変化し、季節を楽しむことが増えた。

冬至のために柚子を買いに出かけ、かぼちゃを煮て、ゆっくりお風呂に浸かる。

クリスマスにはポインセチアを飾り、チョコレートケーキを食べ

初めて年末ジャンボ宝くじを購入し、お正月飾りも買った。 

粗大ゴミもバーーーっと捨て、物が減って部屋が軽くなった気がしている。


毎月1回近くの神社にご挨拶にお邪魔し、そのほかも開運日にはお邪魔させてもらったりした。


数万円する上質なニットを買ってみたり
苦手なはずのスカートを買ってみたり
人生初のパーマをかけてみたり


さて、来年はどんなわたしと会えるだろうか。

見守ってくださった、愛してくださった皆様に
深い御礼と心からの感謝を。

愛をしてるから間違えたんだ

伝わらなくても叫びつづけさせてよ
正しさなんてどうでもよかった
愛をしてるから祈っているんだ 今も

34歳になった。
この歳になると誕生日は特別な日ではなく、いつもの日常の一コマでしかないのだけど、それでも自分を甘やかしていい言い訳になってくれるのは嬉しい。

予定はなにも入れず、ただ平和にのんべんだらりと過ごしたい。

前回のブログからちょうど1ヶ月。
8月ぶりに目まぐるしい1ヶ月となった。

まず仕事。
私は関係ないのだけど、出向先の人事がありメンバーが入れ替わった。

と、同時にweb編集の体制も変わることに。具体の話や動きはこれからだけど、長年組織に属していなかった私にはわりと大きな変化だ。

全く素人すぎて不安も大きいのは確かなのだけど、この歳で新しい分野の学びを得られることはとても大きい。

そして私生活。
前回の記事に出てきた仲良くなりたい友人は相変わらず、お酒を飲むことも増え教えてもらった映画も1作品観た。それがとても良くて、普段泣くことのないわたしが思わず泣いてしまうくらい。

ずいぶんご無沙汰してた色事がいきなりあったり、なんだかもうこちらも目まぐるしくて私が置いてけぼりをくらっている気分。

そういえば私に大きな変化をくれた友人と出雲大社と地元、岡山に旅をしてきました。

出雲大社は2回目なのだけど、初めて行ったときとは比べものにならないパワーに身体が負けて、ずっと具合悪かった。笑

でもよくきたね、と言われている気分でした。
出雲に入ってトンネルを抜けた瞬間光が差したりね。

地元では愛する幼馴染親子に数秘鑑定をしてもらい、なるほど納得、わたしはとにかく自由を得たくて東京に来て、でもこれから進んでいくにはずっと放置してた家族との関係値をよくすることが重要らしい。

愛されること、愛することに
私はどうにも飢えたままでいるようだから。

私も見たことがなかった昔のアルバムを眺め、おそらく存命だった頃の祖父や曽祖母であろう人とも白黒写真で対面した。

そして旅をした友人と、33歳最後の日を過ごした。

モノレールに乗り景観を楽しみ、天王洲アイルで川を眺めながらコーヒーを飲み、銀座でおでんを食べて日本橋のマンダリンでお酒を飲み、ひたすら日比谷の街を散歩した。

気の良い場所ばかりで、エネルギーフル充電して素敵な33年の締めくくりができた。


数秘33の私は、33歳の年が運勢サイクル3、とにかく楽しむ1年だったらしい。

確かに仲良くなりたいと思う友人に出会い、きちんと親交を深めることができて、

横須賀、福生、静岡、奥多摩、出雲、赤線地帯散歩などなどお出かけも多かった。

やたらと塩サウナにハマりお風呂に塩を常備するほど銭湯にもよく通った。


今日からわたしの運勢サイクルは4。
3で楽しんだもの、ヒト、ことを、地に足をつけ抱え込んで愛していく年だ。

こぼれるものはそのままに、手の内に入れて大事に育てていくことができますように。

簡単じゃないよなこんな時代

大丈夫 俺もお前と同じ気持ちだよ
負けるなよ
食いしばって今は一歩一歩

3ヶ月ぶりのブログになってしまった。
やっぱり「書く」っていう行為に少し疲れてしまっているよう。

上半期のわたしには少し変化があった。

幼馴染や久しぶりの友人と会って気付いた、こんなに愛されているということ。

やっぱりうまく生活できない日もあったけど、それでも少し前を向けた。

そして8月はとにかく変動の月だった🌕

週1、2ペースである友人に会い、
それも予定をしてたのは最初の1回だけであとは当日たまたま時間が合ったからという奇跡ぶり。


そこでちょっと人間変わった気がする。

厳密に言えばなにも変わっていないのだけど、まるで昔の巻物のように頭に流れ続けていたテキスト📜(これがわたしの思考である)がかなり減って、元々ストレスフリーだと思っていたのがよりフリーになった。


考えすぎだよ、と言われることが不思議で、わたしはなにも考えていないのに、と思っていたのだけど

頭の中を跋扈するろくに読めないあの大量の文字たちが思考だったことを知ってからは、そりゃ考えすぎって言われるよな、と己を改めて知った。

静岡と奥多摩にも行った。珍しくお外に出ている。

8月末に霊視してもらって、わたしのハイヤーセルフは宇宙人だと言われた。

色々と合点がいく。

今死んでも明日死んでも後悔ない、それがわたしの寿命だもの、と強がりでもなんでもなく思えていたのは、過去生でカルマを全て終わらせてくれているかららしかった。

どうりでわたしは見切り発車のその日暮らしが好きなわけだ。ありがとう、わたしの過去生たち。


そんなわけで怖いものなしの自由人モードに拍車がかかっている最近。


異常に眠くて夜の19時には寝落ちして25時くらいに少し目を覚まして、朝までまた寝ていることがよくある。なんなら昼にも寝ている。

そして1日1食しか食べなくてカリカリしていたときが嘘のように、炭水化物も小麦もがっつり食べて、なんだろう冬眠でもするんですかモードです。

さすがに太ったんだけど、以前より気にせずに済んでいる。健全だ。


コロナ以来久しぶりの野外フェスにも行った。やっぱりわたしは音楽が大好きだ。


玉ノ井に赤線地帯散策に出かけたり、仲良くなりたいと思った子とは順調に仲良くなれている。とても嬉しい。

そして新たに仲良くなりたいと思える人にも出会った。映画の話がとても楽しい。いつもおすすめを教えてもらっているけど、さて、わたしはこれをいつ観るのかな。

思考が減ったからブログを書くことも少なくなるかもしれない。
頭の中では追いつかなくなったあれやこれやを吐露する必要はもうないのだ。


わたしはなにかしらの大役があると言われ、やりたいことはもう自分でわかってる、ただそれをやればいい、という甘々な言葉もいただいている。


あとは時が来るのを待つだけ。

わたしが東京に来た時のように、なんの保証もなんの資産のなんの自信もなく、ただ体が動いたときのように。

働くWhy you Tokyo life ねぇ今週報酬は? 

また2ヶ月そこら経ってしまった。ブログを書くことから遠のくのは、実はあまり良いことではない。

書く頻度が高いのは高いので困りものなのだけど、今の書く気力の起きなさといったら。

6/30。2023年も半分が過ぎた。

先週結構な風邪をひいてパソコンに向かうことすらできず、なかなかに苦しんだせいで2023年上半期はここ数年と変わらず渋い記憶になってしまった。

とはいえ、つきものが落ちたように家族(家族という言葉すら本来は使いたくない)との色々が軽くなって、わたしを愛してくれる友人がいる!とハピネスフルな気持ちになって、行ったことのない街にも行けて、楽しいことはそれなりにあったのだ。


2020年からの不調ってなんなんだろうな、とずっと考えているのだけど、フェスに行かなかくなったことが大きいかもしれない。


それだけでわたしの大きめの外出機会というのはかなり減るのだ。あと2年くらいは大阪にも行ってない。

たった4年しか住んでいなかったあの街に、わたしはたまにとてもとても恋焦がれる。


移動や新しい体験をする人の方が幸福度は高いらしい。そしてたくさん移動する人は気持ちがポジティブなのだそうだ。


2015年から2018年頃のわたしは最強に楽しくて、移動したばかりの東京はどこに行っても目新しくて、未経験で入った仕事は毎日が新しかった。

2019年でそれがぐぐっと深まって

2020年から呼吸だけしてる死体のような日々だ。


新しいことがなにもないから人と話すのが怖い。そんなもんだから相手だってわたしと話すのが億劫だろう。


チケットを買って行かなかったライブもあるし、行かなかったら展示もある。

いつからこんなに面倒くさがりになったんだろう。


ブログを書くのも億劫になったのは、書いてもこういう愚痴しか出ないからってわかっているからなんだよな。


いつも君を研磨してくれる憂鬱だって、読書ばかりしていた頃とは違うからなにも磨かれてくれない。

過去の貯金じゃ生きられない、新しいものを探したい。


下半期の目標は、なんとなく行きたいなとぼんやり思っている場所に足を運ぶこと。


移動で日常から逃げよう。

thanks for comming! see you.