ペトリコール - forget me not -

雨上がりの匂いと勿忘草

わたしたちはいつでもハッピーエンドを待ってるの

春の隙間からサヨナラの匂い

それぞれのゆき先でまたね
春のダンス さて君はどう踊る?

気がつけば2ヶ月経ってしまって、書きたいと思っていたこともすっかり忘れ、桜も見ないままにもう春は中盤にきてしまった。


時折急に懐かしい音楽を口ずさんで、「なぜいまこの曲が頭の中を流れているのか」と自分でも分からないという現象が起きる。


Bank Bandの『はるまついぶき』と『よく来たね』が頭に浮かんだときは、まあ春だから、となるのだけれど。


懐かしくなってap bank fesに行った2012年だか2013年だかのブログを読みたくなって、せっせと過去の自分に会いに行く。


こういうときは思い出は記録しておくべきだなあ、なんて思う。


そこから過去のブログを読むのにハマってしまって、電車や空き時間にちまちま読んでいたのだけど


わたし自分のこと書かなくなったな

と、ふと思ったり。


いや自分のことしか書いていないのだけど、昔のブログを読み返すともう心が丸裸だったわけですよ。


よくもこんなことを書けていたな、と思うのはもちろん、ブログのタイトルや記事内に歌詞を引用してたりするのも、今はできてないなと思った。


なんでかな、とちょっと考えてみると


心を動かすことが少なくなってしまったのだな、と。


ふと耳にしたメロディーや景色で、
誰かの仕草や行動で、

筆を走らせずにはいられない!というくらいたくさん心が動いていたのだな、と。


鈍感になっていくことが悪いとは思わない。


鈍感にならないと疲れることがたくさんたくさん増えていく。そして情報量も年々と増えていくから、わたしはわたしに都合のいい情報しか仕入れない。


悪いこととは思わないけど、なんだか寂しくは思うわけなので


今日は心を書くぞ!と思ったのに

全然うまくいかないや。


2023年春はどうにもこうにも眠たくて

鬱と抑を繰り返して疲たりもして


そんな中で遠出をしたり、遠出のおすそ分けをもらいにいったりした。


生憎の悪天候だったけれど、一度行ってたかった横須賀は米軍基地へ。

可愛くて可愛くて見たら忘れられない、ウェスアンダーソンの映画のような風景を記録した展示へ。

Accidentally Wes Anderson とはうまく言ったものだ。


映画もちまちま観たり本をちまちま読んだり、わりと生活はほどよくまわっている。


音楽を聴かなくなってしまったなあ。現場にも行ってない。久しぶりのフェスの予定は知人の結婚式で上書きされた。


着もしないのにお洋服を買い漁ったり
昔の自分に会いにいったり

やたらタトゥーを入れたいし髪も切りたくて


こういう欲求は、今の自分がしっくりきていないから起こる。それは分かる。なにがしっくりきていないのか、どうなりたいのかを探さないといけない。


5年後10年後のわたしが、このときのわたしに会いに来ることはあるのでしょうか。

備忘録、家族との確執をやっと捨てられそうだと感じた話

あまり占いとかを信じていない人生なのだけど、知人の話を聞くとあまりにもその人の本質を言い当てているものだから気になって、紹介してもらった占い師さんのところへ訪れてみた。

片道1時間以上かけて、向かった先は鎌倉。

結論、久しぶりというかいつぶりか分からないくらいに人前で泣いてしまった。

ああ、わたし苦しかったんだな。

生年月日からなにやら数字を出して、まずは自分がどんな人間なのかを教えてくれた。


あの世とこの世、この世はあの世へいくための修行だそうで、9割の人は修行だけど1割の人は苦行らしい。

わたしは修行だったのだけど、その中でも周波数があるらしい。

7割の人は一般的なもの。
1割は仙人の周波数で、これは物事に没頭したりすることから専門家気質の人が多いらしい。
残り2割が神様周波数。もともと聖職者だった人や、戦争などで大量虐殺をした人や自殺(自ら命を断つことは1番罪が重いらしい…)した人がこれにあたるらしい。

わたしはなんと神様周波数。

周りと周波数が違うから、浮世離れしてるというか、合わないことも多々あると言われハラオチ。


昔結婚に失敗してるらしく、とにかく自由でいたい、という思いがはちゃめちゃに強いらしい。

…めっちゃ当たってる。集団行動苦手だし束縛も無理だしとにかく恋愛体質じゃなさすぎる。

厳しい家庭で育ってるから自立心が強すぎて、甘えるのが苦手というか甘えてはいけないと思ってるね、と言われて涙腺がゆるんだ。


なぜわたしが占いに行ったのかというと、満を持して会社員に戻ったのに、会社の都合でまた4月からフリーランスに戻ってしまうのだ。

会社員になった経緯も伝えた上で、会社員として生きるべきかフリーランスになるべきかを聞いてみたい。

2/4から新しい年が始まっているらしく、これまでの数年は準備期間で、いまやっと充電が100%になったところ。ここからは新しくなにかが始まっていく開運期に入る、と序盤で説明してもらっていたのだけど、あわせてタロットもやってくれた。

結論、フリーランスで大丈夫だ、と。

それだけで安心して、肩の荷が降りた。お金もあとからついてくる、困らないよ、と。


家族や信頼できる人たちによって成長していくよ、関わり方が大事だよと言われたので、家族のことを聞いてみた。


甘えるのが苦手で、友達はたくさんいるかもしれないけど信頼できる人ってとても少ないんです、と。  

両親と兄の生年月日を伝えると、同じようにいろんな数字を出して「修行」「苦行」「周波数」を見てくれた。


…父が苦行だった。


もうそれを聞いただけで爆笑したし、だからなのね、と思った。

あの人はあの人で、そういう元に生まれてしまったのだな、と。

よかれと思って人にあれこれ高圧的になってしまって、その結果人が離れたりして、でも自分はいいことを伝えてると思ってるから「なぜなんだろう」となるらしい。

これは一言も伝えてなかったのだけど、兄と父が結構すごい仲違いをしたようで、それはわたしも帰省した時に初めて聞いた話だった。

兄も我慢強くて、積もり積もってそうなってしまったのだろうけど、実家にすら寄りつかないレベルで絶縁に近い感じらしい。

でも父はそんなに大事だと思っていないというか分かっていないようだ。

これはもうどうしようもないらしい。


母は極端すぎる人で、言動と行動がちぐはぐだったり、それは違う人格の自分もいるのにそれを隠してしまっているからそうなるらしい。

…これもめちゃくちゃそうだな、と思った。

昔からヒステリックなところがあって、今も昔もどこかしっくりきていなさそうな人だったから、

そこにも苦行中の父が関連していて、母の隠れた人格を見ようともしないから、余計隠れてしまうんだそうだ。

そして兄の話。

わたしにとって兄はめちゃくちゃとんでもなく特別な人で、家族の中で唯一信頼している。唯一家族だと思っている。


父の高圧さや母のヒステリックから、そして家庭の歪みのとある原因からもいつもわたしを守ってくれた。

兄がいなかったらわたしはきっと東京にいないし、人生を恨んで恨んで腐って生きただろうと思う。


わたしの知らないところでわたしをフォローして、庇って、そのぶん自分が苦しくなるのにわたしを実家から逃がしてくれた。

お兄さんすごくあなたを守ってるね、と言われてその話をしたら、前世では親子だったと思うよ、と言われた。

親子だったときにわたしを縛って、わたしが望む道ではなく自分の望む道に無理やり進ませてしまったから、そのカルマを今果たしているのだ、と。

わたしが自由に生きていけるように、自分を犠牲にしてわたしを守って逃してくれたんだと。


もうそこで涙腺崩壊。

そうだったんだ、と。守られていることも逃してくれたことも、なんとなく分かっていたけれど、それを第三者に言われると本当に本当に泣けてきて。


本当に愛してくれているよ、と。

わたしはもう自由になったから、兄がこれから自分の人生を生きていってくれたら嬉しい、と言うと


父と疎遠になったことで開き直っていくから大丈夫ですよ、と言ってくれた。
言葉を交わさなくても伝わってるよ、と。


もうつきものが落ちたように肩が軽くなって、


人を好きにならない自分を薄情かもしれないと思っていたし、自分勝手に生きすぎていて不安になると言ったら、

自由に生きることがあなたの今世だから、と言われて


もうそれだけで知りたいことも無くなった。


占いはエンタメだと思っていたけれど、
前回の記事で書いた幼馴染の愛も含めて、

生年月日というか自分が生まれた時というのはとても重要で、自分を知って生きやすくなるには、紐解いてもらうことが大切なのだな、と思った。


思い出しても泣いてしまいそう。

家族と距離をとっていい、準備期間を経てこれから新しい道を進むから、家族に引っ張られるようなことはしなくていい、と。


1人で自分勝手に生きていい、と肯定されることが
こんなにも嬉しいことだと思わなかった。


苦行の父に巻き込まれたようなところがあるわたしの家族。

苦しかった。認められないこと、求める愛を与えられなかったこと、いらない愛を押し付けられたこと、ほんとうにほんとうに苦しかった。

疎遠になっていいんだ。

やっとわたしはわたしを生きていけそうだ。

帰省備忘録、または便箋歌

年末年始をずらして、2/3〜5の弾丸帰省。2/5の朝には家を出るので、実家で過ごす時間は実質は一泊ニ日程度。

車で20分、電車で20分かけてUNIQLOへ行くような辺境にわたしが育った家はある。

一泊二日でも正直きつかった。

柔軟剤も使わない、芳香剤なんて存在も知らないわたし以外の家族。

玄関を開けたときから、服に、髪に、体に実家の匂いがまとまわりつくのが気持ち悪かった。

お風呂に入ったって、洗ったばかりだというバスタオルやシーツだって実家の匂いがする。

匂いが鉛のようにまとわりついて、ああ、わたしはこれから逃げたかったのかもしれない、と
埃臭い今にも壊れそうな軽自動車で駅まで送ってもらい、挨拶もそもそこにわたしは東京へと帰っていく。


わたしにとって帰るところは東京で
岡山は、もうわざわざ行くところなんだ。

そんな帰省をどうして備忘録に残そうかと思ったのかというと、ああ、この気持ちを真空パックしておけたらな、と思う出来事もあったからだ。

たぶん4年ぶりかそこらに会う、大学時代にわたしがとてもとても尊敬して大好きだった友人。

どういうところを尊敬していたかというと、1番はテキスト。

わたしはその子がくれるお手紙やメールからたくさんのことを学ばせてもらった。

漢字と平仮名の分量、漢字を平仮名に開くことでうまれる柔らかさ、そして意図して起こす深読み。

いつのまにか母になっていたその子に会うのは、実は少し緊張していたのだけど、駅前のロータリーで手を振ってくれた彼女をみたらそんなことは忘れてしまった。


ああ、そうだった。この子はこうやって、言葉で、表情で、全身で嬉しい楽しい大好きを伝えてくれる子だった。そういうところに甘えていたし、そういうところを尊敬していたのだ、と。


不思議なもので昔の自分を知る友達との再会は、今の自分のまま会話の一部だけを当時のままにタイプリープさせることができる。

話し足りなくて電車を1本遅らせて、来月にはわざわざこちらに遊びに来てくれるらしい。


なにを話しても「そうなんだ」とニコニコ嬉しそうに受け止めてくれる彼女には、だからこそあまり話さなかったり不機嫌な態度を出してしまうことが多々ある。

それはわたしが心からあなたを信頼して甘えている証拠なのだ、と、不器用で気ままな押し付けがましい愛情を一方的に伝えてきた。

あの子の溢れる寂しがりな愛情は、あの子の分身がきっと受け止めてくれている。そう思うだけで、わたしは彼女の耳にピアスが増えていないか心配することをやめてもよさそうだと思えた。


寂しがりで自己愛の強い彼女の口から、「尊敬できる人だった」というある思い出話を聞いた時は、思わずハグしそうになった。


好き好き大好き、会いたい会いたい、会えるの楽しみ、となんの恥じらいもなく言ってのける彼女の口から、初めて聞いた言葉だったから。


彼女のテキストを尊敬していて、言葉に真摯な彼女のことを尊敬していたわたしには、その言葉の重さが、8割は伝わってると思いたい。


わたしも同じように、そんな人に出会って、そして通り過ぎてしまったこと、今もこれからも一生特別な存在がいることを知っている彼女にとって、

きっとその思い出の君は、わたしにとってのその人くらい大きい存在なんだろう。



海を渡る電車の復路に乗って、今度は帰省したら必ず会う幼馴染に会いに行く。

昔話もするけれど、今年はなにか少し違って、

あの頃のわたしはあの子のことをこう思ってた。そして今はこうだったのかもしれない、という考察をひたすらに話し続けていた。


中学生くらいの頃、わたしは厨二病のピークを迎えていて、なぜか洞察力がある自分カッコいいと思っていて、人のことをわかったふりして全然本質を見抜けていない痛々しい奴だったわけだけど、


そうやって自分のことを愛せない私の代わりに、幼馴染はすごいね、よく見てるね、とわたしを愛してくれるのだ。

そう、なぜか今回はとにかくわたしにはわたしを強烈に愛してくれる人がいるのだ、と実感させられた帰省となったのだ。

今までも年に1度くらいは帰っているのに、そう思ったのは今回が初めてだ。

わたしをこんなに愛してくれる人がいるのよ!という嬉しさで、本当に満ち満ちと満月へと向かう14番目の月のような気持ちだった。


わたしは全く覚えていないわたしの言動を、幼馴染はとても大事に覚えてくれていた。

去年か一昨年かは定かではないが、東京に遊びに行こうかな、という彼女に、わたしは「わたしが帰ってくる、あなたは来るべきではないと思う」と言い放ったらしい。

確かに去年までの彼女は地に足がついていない感じがして、なんだか見ているだけで不安定が滲み出ていたから、動かないで待ってて、と言ってしまったのだと思う。


今年は「今度は遊びにおいでよ」と声をかけた。

幼馴染はその変化をとても喜んでくれて、わたしは上から目線で意見がコロコロ変わる自分を恥じつつも、でも何気ない言葉を覚えててくれて、それを喜んでくれる人がいることにとても感動した。

わたしにはわたしをこんなに愛してくれる人がいる!


どこまでいってもわたしはわたしのことばかり。

わたしもきっと同じくらい愛してる!

そのことを伝えたいのに、たぶんきっと伝わっていなくて、手紙でも書けばいいのにこうやって一方的な電子ラブレターを打っている。


わたしの耳には穴がないことを覚えていてくれて、帰り際に少し早いバレンタインのチョコとお守りイヤリングをくれた。

イヤリングはわたしをイメージした色だと言ってくれた。

その水色は、わたしが彼女に私の絵を描いて、と頼んだ時の背景の色と同じであることを、彼女は覚えているだろうか。


東京の友達に、1対1でしっかり話したことはないのに何故か大好きで大好きでたまらない子がいる。

その子は愛という言葉をよく使うのだ。

「だって愛してるもの」

彼女が放ったその言葉で、わたしはすっかり彼女のファンになってしまった。


ファンになってはや2〜3年経つわけだが、やっとわたしもその言葉が自然と口から出るものなのだということがわかってきた。


原稿用紙6枚分になっているこのテキストを見ると、よくこんなに書けるね、という人がいるだろう。

そうしたらわたしは笑顔で言い放ってやるんだ。

だって愛してるもの、って。

簡単な正解を選んだあとで

簡単な正解を選んだあとで なぜかまた傷ついてる それにも気付いてる

小さな成功体験を積み重ねたい、と迎えた2023年。「日記は続かないよなあ」ということで始めてみたのは6 minutes diary。

朝晩3つずつ、各質問に1分で答えるというもの。合計6つの質問は毎度同じもので、今のところすっぽかした朝や寝てしまった夜もあるけれどつらつらとペンを走らせることに成功している。

人に会わず1日を終えることも多いので、回答が困難な日もある。というかそういう日の方が多い。

でも、なにかあった日や誰かと会った日に良い気分になれる質問ばかりなので、わりと心に栄養が行き渡るいい習慣になるかもしれない、と感じている。


「小さな成功体験をしたい、日常で実行できることで、それをルーティン化して継続して、継続できたという小さなものでいい」

年末年始帰省をしていない私に会おうと声をかけてくれた友人にそう話すと、翌日その小さな成功体験にぴったりの参考動画を送ってくれた。

わたしが口にした独り言のような話を覚えていてくれてシェアしてくれること。それがどれだけ嬉しいことか、うまく伝えられたらいいのにな。

2023年の初映画は『そばかす』。

近所にできたけどまだ行けていない映画館で上映されていたのと、好きな役者さんが出ているから観に行った。

とてもとても良かった。良かったというか私好みの作品だったというべきか。

アセクシャルという言葉を知ったのは最近のことだし、細かくいうと少し違うのかもしれないけれど、主人公の女性は同性異性問わず恋愛感情や性的欲求を抱かない人だった。

共通の価値観と共通の趣味で仲良くなった異性とは、恋愛感情を持たれてしまった故に、それに応えられないために、そして応えられない理由を相手が受け入れられないために疎遠になった。

家族や友人や同僚、彼女を取り巻く人々それぞれの価値観、正義、本質がとてもリアルに描かれていた。

サブタイトルなのか、(not) heroin moviesという言葉が添えられているのもとても良かった。

そうだ、ヒロインじゃないんだ、と。

元々は1/4までのつもりだった冬季休暇を1/9まで延ばした理由であるDiorの展示にも足を運んだ。

チケットが全然予約できなくて、渋々平日の真っ昼間に清澄白河まで足を運んだ。

美しさにため息しか出なかったその展示は、作品の美しさはもちろんだけど、その美しさを最大限に引き出す展示の仕方も素晴らしかった。

ジョンガリアーノの華やかなドレス、ラフシモンズのシックでミニマルなデザイン、ジャンブランコフェレの素晴らしいフォルム。

デザインはもちろん、素材やパターンの緻密さ、縫製の技術に気が遠くなる思いだ。

休暇最終日は、1時間半ほどかけて神奈川県の葉山、愛するMan Rayの展示へ。

千葉ではオブジェ展、葉山では女性が登場する作品をメインにした展示。

千葉の方は休館日だったこともあるし、知人に美術館のロケーションが素敵だよ、と教えてもらったこともあり海辺の町へと足を運んだ。

年末年始に会ってくれた友人が「旅したらいいよ」と言ってくれたことも少なからず影響している。

旅を綴ればいいよ、と。

とても嬉しかった言葉があるのだけどうまく思い出せない。私のテキストをたまに覗いてくれているらしかった。


気圧に弱く面倒くさがりで気分屋。旅に向いていないわたしは少しの遠出も「旅」と位置付けることにしている。

海岸沿いに建つその美術館からの眺めには、美しい地平線と波の音。

30分ほど波の音を聴きながら、手をつけていなかった本をパラパラとめくった。 

Man Rayは、というか同時期に活躍していた芸術家たちは恋多き人が多く、パートナーとなる幾人かの女性たちは華やかなことはもちろん、自立心が高かったり移り気だったりしている人がほとんどだ。

パートナーは数年単位で変わり、もちろん作品や作風も変わっていく。

でもどの作品も、妖艶でありしかし下品ではなく、もっと被写体である彼女らを知りたいと思わせるものばかり。

オリジナルを破壊し再構築し、別の作品へと昇華するそのスタイルは、オリジナルに重きを置くNFTアートに対するダダイズムのようだ、と同行者が述べた感想に大きく賛同した。


夜に観た映画は85年〜90年前半の年代の多くが名作だ、バイブルだ、と語る『スラムダンク』。

観る気はなかったのに、あまりに評判がいいのでそれならば、と鑑賞したら、とにかく感動して大変だった。

ストーリーはもちろんだけど、メインの主役キャラを置きつつ、登場人物全員が主役に負けず劣らず輝く作品を作り上げた井上雄彦さんの才能に涙が出る。


弱小校なりに一生懸命だった部活には、悔しくて泣いた試合もあったことを思い出した。


原作と大きく変わらず、でも映画オリジナルの演出もあり、後世に語り継ぎたい作品だな、と改めて実感した。


まるで備忘録のような駄文だけれども、2023年早々、心を動かしてくれる瞬間にたくさん触れられて幸せだ。


ゆるゆるとマイペースに、でもできるだけ勤勉に、成功体験と心踊る出来事をたくさん重ねていけますように。

去年より面倒くさがりになってるぞ

どうでもいいって顔しながらずっとずっと祈っていた無い物ねだり

2022年も絶賛鬱だった。去年初めて精神科にかかって、どうしようもできずただ苦しんで苦しんで、でも、今年は少しうまく付き合えたかもしれない。

頑張れない、辛い、どうしよう
から
頑張れない、仕方ない、眠ろう
と、折り合いをつけることが少しうまくなった。

365日のうち6〜7割は家から出ていないんじゃないのかってくらい何もしていなかった。

ここ2年はそんな感じだ。この状態すら苦しい。

誕生日も年末年始も、改めて目標というものを設定することがなくて、「健康」と適当に流して生きたきた。

それが今年は急にふと思いついた。2023年は成功体験をしてみたい、と。

わたしは頑張ったことがない。努力できないし継続もできない。テスト勉強していい点をとったこともないし、資格の勉強も学生時代だけ。

スポーツも文化も仕事も、わたしは他者から評価されたことがない。

いきなり他者から評価されるなんて無理だし、漠然とした目標はおざなりになると33年生きてきてわかっている。

だからとりあえず、毎日の生活に「実行する」を取り入れてみようと思った。

見事な三日坊主で終わる日記をつけてみてもいいし、結局半年くらいしかできなかった月詣を再会するのもいい。

とりあえず忘れないように、2023年はこうしたい、というものをメモしておく。

・服は極力実店舗で試着してから着る
・パロサントやお香を毎日使う
・月詣
・歌集を読む
・1行でもいいから日記を書く

実行できたらなにかご褒美を許してあげることにして、こんなの成功体験でもなんでもないよというものでも、続けられたら成功ということして。

訓練が必要だと思う。

続けること、めんどくさくてもルーティンだ、と日時に溶け込ませること。
それが身につき出したら、やっと勉強とか習い事とかができると思うんだ。


そういえば今年は帰省をしていない。
去年はどうやら帰ったらしいのだけど。

高校生の頃は年末年始ずっと稲荷神社でバイトしてて家にいなかった。
大学生の頃は単発の警備バイトとかで年末年始を過ごしてた。

大学生の年末年始は好きだった。みんな帰省をするから、大学近くの町はとても静かになって、その空気感が本当に好きだった。

今年は12/31も1/1も働いている。

実家が得意でないのはもちろんだけど、面倒なんだよな、シンプルに。

宇多田ヒカルのkeep try'nがテーマソングになりそうだ。

「去年より面倒くさがりになってるぞ、挑戦者のみもらえるご褒美欲しいの」

挑戦者になる準備をする2023年にしたい。

thanks for comming! see you.