ペトリコール - forget me not -

雨上がりの匂いと勿忘草

わたしたちはいつでもハッピーエンドを待ってるの

正しい未来はやってくるのかな

あのユートピアを抜け出して
誰も知らない扉を開けに行くのさ
正しい未来はやってくるのかな
バラ色の日々はやってくるのかな

平成元年に生まれた私は30歳になり、そしてもうすぐ生まれて生きてきた時代が変わる。

平成というのはすごい時代だったと思う。
渦中にいるときは分からないものだけれども、少し振り返っただけで変化のめまぐるしい時代だったことは分かる。

なによりもデジタルになった。

たかだかこの20年くらいの話だ。
スーパーコンピューターからパーソナルコンピューターが一般化し、携帯電話はスマートフォンに、タブレットも登場した。

価値があるものは情報。
人間関係もSNSで構築。

そんな変化の時代を歩いてきた私は、きちんとダーウィンになり得ているのだろうか、なんてことをたまに思う。


平成に生まれ、平成を生きてきた私に大きな変化を与えたのは、大学進学と東京での就職だ。
つまり環境が変化しないと私は自ら変化する生き物ではないらしい。保守的人間、まあその通りだなあ。

ご飯に困ることは無いけど、家族で旅行に行ったことがない程度に貧乏な家庭で地方の公立学校を卒業し、地方とはいえそこそこ大きな街の大学へ無理言って進学した。

そこでは私の知らない価値観が沢山あって、お金があるということがどういうことなのかもよく思い知った。いい意味で。

ちゃんとカウントしていい恋愛も大学からだと思う。中高の頃は恋してる自分に恋してたし、だから相手のことは彼氏だから好きなのであって、好きだから彼氏というわけではなかった気がする。

この人の幸せが自分の幸せだな、と思わせてくれ、きっとその人もそう思ってくれていた。そんな人と過ごした時間が、きっと私の平成時代の1番の宝物だ。あんな人になりたいと思った。それ故に恋人じゃ居られなくなったけど、友達にも戻れなくて、心苦しくて仕方ない思いもした。


東京に来てからは生きるのが楽になった。


どんな価値観だろうが、どんな考え方だろうが、否定的に捉える人は少なく、むしろ興味を持ってくれる人だらけ。
たまたま知り合った人たちがそうだっただけかもしれないけど、それにどれだけ救われているか。

仕事もアナログからデジタルに変わった。

いつまでもテキストを仕事にしていては先細りだなと思いつつ、それでも私は未だにテキストにしがみついている。令和はテキスト以外の仕事もしていくだろうな、となんとなく予感している。


自分を卑下する人間で過ごした平成。
令和は開き直って自尊心を持てる人間で居たい。

自尊心をプライドと言い換えるなら、すでに充分な自尊心はあれど、自分を尊ぶ、となるとまた変わってくる。

容姿や技量に自信がない。
でも私は生きていかねばならぬ。

積極的にエネルギッシュに生きたいかと言えばそうでもないけど、少なくとも死にたいとは思っていないから、それならとりあえず生きるしかない。

なら自尊心を持たないと生きていけない。
私は私が商品なのだから。

0歳から18歳まで育てられてきた平成。
18歳から12年間1人で生きてきた平成。

私はまだまだ1人で生きる。

thanks for comming! see you.