ペトリコール - forget me not -

雨上がりの匂いと勿忘草

わたしたちはいつでもハッピーエンドを待ってるの

健康的な朝だな

こんな時に君の愛してるが聞きたいや

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健康的な朝とは割と無縁の生活をしている。

朝は眠いし、朝ごはんも食べないし、

いつだって準備はギリギリだ。

 

そんなわたしにも健康的な朝が訪れることもあるらしい。先週末は自分でも驚くほどの健康的な朝だった。

 

といっても、10時くらいに自然と目が覚めただけだ。普段は昼過ぎまで寝ぼけているから、わたしにしてみれば早起きなわけなのだけど。

 

晴天ではないにしろ、

ちらほら青空がのぞく心地よい天気だった。

 

その日は友人宅に泊まっていたのだけれど、

その友人がマメに料理をする子で、

朝から生姜の入った野菜たっぷり味噌汁にごま油を少し垂らして食卓に並べてくれた。

 

朝は食欲が無いのでこれでお腹いっぱい。

こんな美味しいお味噌汁久しぶりに食べた。 

 

人がつくってくれたものとは

こんなに美味しかったかな、と。

 

五臓六腑に染み渡るとはこのことか、と。

 

振り返ってみれば4月の食生活はひどかった。

1日1食が多かったり、それも野菜不足だったり。

 

肌荒れに悩んでいたのだけれども、

まずここから改善せねば、と思った。

そういえば体調も悪かったし。如実。

 

すっぴんのまま友人宅を後にし、

最寄り駅まで歩いたものの、なんだか心が元気だったのでわたしの沿線まで歩くことにした。

 

1時間くらいで着くらしかったので

途中コーヒーを買って

そのまま環七通りをまっすぐまっすぐ歩く。

 

 

未だ無料登録なので使い勝手の悪いspotifyと、たまに精度に振り回されるGoogle mapがわたしの友達。

 

 

結局疲れ切ってその日は早くに寝てしまったのだけれども、久しぶりにあんなに健康的な朝だった。

 

健康的な朝とはつまり健康的な1日でもあるな、と思いながら、食生活改善のため、とりあえずスーパーへ瀕死状態の冷蔵庫を埋める買い物に。

 

 

健康的な朝だな

こんな日には君の愛してるが聞きたいや

 

健康的な歌だなあ。

 

 

綺麗な映画を観たあとに

ふと君のことを思い出した

あの日をなぞれば

何となくまた戻れそうになって  なった

 

例えば誰かのイエスとノーに

惑わされるのは嫌だから

誰でもない、代わりのない

僕自身の基準で生きていたい

 

強く春風が揺らす心

 

ねぇ

エイプリル 僕は変わった?

エイプリル 君は変わった?

いつもいつまでも続いていくような

気がしていた午後

奇跡のように出会って

必然のように別れて

映画みたいにはいかない結末に

僕は 何を想う

 

誰かの幸せを願うほど 僕は優しくなくて

せめて僕だけはと思うのは おかしいのかな

 

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4月に入ってからのわたしは

どうもわたしらしくない。

 

あれほど読まず嫌い(というか単に毛嫌い)していた実用書を読んでみたり、

 

毎回10日間程度で挫折するのに懲りずに手帳を買い、その手帳がまさかの暖色系統だったりしている。

 

 

2018年スタートしてからが

というかもう2017年のときからなんだけど

まあ不調だったもので  

 

とにかく何かを変えねば!って思って

単細胞なわたしは本と小物を変えたのだ。

 

 

実用書を何冊か読んで何となくわかったことは

読んで良かった、と思えるものに出会うのは

小説より何倍も難しいということ。

 

小説なら、冒頭を少し読んで「掴まれた」と思うものや、その予感がするものを買えばいい。そうすればだいたいそれなりに満足のいく読書ができる。

 

だがしかしbut

 

実用書となると、自分が知り得たいものが明確だろうが不明確だろうが、冒頭少し読むだけでは意味がないので、とりあえず読み進めることになる。

 

それなりに読んでやっと読み進めるか否かの判断ができる。

 

読んで良かった!メモしよう!と思えるものもあれば、疲れるだけで何も得られず終わることもある。

 

小説に関して言えば、ストーリーはもちろんのこと、世界観や表現方法、語り口調に文章構成などなど、個々人の好みで評価が大きく変わるものでつくられているので、好みによる、の一言で終わるし、読んでいれば自分好みのものは何となく分かってくる。

 

かたや実用書となれば、万人に分かりやすく!が基本的な文章スタイルであるから、好みによります、では終わらないのだ。

だから探すのが難しい。

 

なんだかんだ沢山の人に読まれているものが

分かりやすくて実になる、と思った。

 

たかが数冊読んだ感想だけど、恐らく遠からずだと思うわけです。

 

 

どこかのロックスターが

「世の中で1番食べられているラーメンが世界で1番のラーメンなら、それはカップヌードルということになる」的な名言を残していて、

 

実用書はまさにこの皮肉られたラーメンだと思います。

 

人それぞれに良いものはあるから

1番を決めるなんてナンセンス

 

ってことを言いたいのだけど、

これはつまり小説に当てはまるわけで

 

実用書に至ってはカップヌードルが理想。

 

あとは日清なのかエースコックなのかとか

その程度の差です。

 

 

エイプリル 僕は変わった?

うーん、どうやら変わりたいとは思っているらしい。

 

mol-74というバンドの

エイプリルという曲が

2018年の自分の中のベストオブ春ソングです。

ちなみに発売は2016年。

 

とても美しくて

もう終わってしまったけれど、桜が散る頃に聴きたい曲です。ぜひ。

 

 

 

今日まで何点だった?

楽したい人ばっか 

ボクもそっか

じゃあ何しよっか

後ろ向き人生 まわれ右

 

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地元に帰った時に、小学校のプチ同窓会を開いてくれました。

7人ほど集まって、学年全員で18人だったから半分近く来てくれたわけです。

 

今も実家に住んでる人は少なくて、

みんな結婚してたし親になってた。笑

 

 

同級生の1人が卒アルを持って来てくれていて

パラパラとめくっていたら、将来の夢が書かれていたわけです。

 

この頃から、サラリーマンになりたいとか書いてる子も居て、そういう世代の先駆けだったなと改めて実感したわけでございます。

 

 

私の夢はアナウンサー。

 

そう書いたのもしっかり覚えてる。

 

 

運動も勉強も群を抜けるものがなかった

平々凡々のわたしが唯一褒められたもの

 

それが読書量だったわけです。

 

 

本を読んでればそれなりに

漢字が読めたり語彙力が増えたり

なんとなく文章の構造が分かるわけでして

 

自然と国語、ひいては現代文の成績は良くなり

しかしまあ古典や漢文、五段活用の連用形だとか助詞がどうとかは分からないままです。いとおかし。

 

「いとおかし」は多分今で言う「マジ卍」だよなあなんて思う今日この頃です。

 

 

いや、そう、読書量に比例して読み書きに長けてくると、ものを読むスピードが上がり、そして喋るスピードまでもが上がってしまったんですね。

 

わたしが早口なのは小学生からなのだけれども、たぶんこのへんが原因なんやと思ってます。

 

早く喋れる イコール 滑舌がいい

というわけでは決してないんやけれども

 

小学生なんて単細胞人間やから、

喋るのうまいならアナウンサーなれるやん!

みたいな感じで将来の夢にしたんやと思います。

 

結局喋るんじゃなくて

書く方が仕事になったわけだから、

まあそこそこ、今日まで70点くらいで生きてこれたんじゃないでしょうか。

 

 

さて、この記事は実は2017年の6月に下書きにぶっこまれていたものです。

 

めっっっちゃ長文でバリ深いこと書いてたのにアプリが落ちやがって、やる気をなくして1年近く寝かせて、もう何書こうとしたかも忘れたからほじくり返してみました。

 

この1年なにしてたんやろう〜

2017年はほんとに「無」な1年でして

2018年になってまるっと3ヶ月、今のところ結構しんどくて

 

でも無よりいいと思います。

 

苦しんだりしんどいのは

なにか変わる前兆というか、

自分が前を向いたから色々弊害が見えて来たり、不可抗力でもなにかしらに変化があったから感情にも変化が出るわけで。

 

 

なにかが変わる2018年

 

に、なればいいなあ。

 

 

 

いつも まぁいっか

今週なにしよっか?

今日まで何点だった?

今は分からない

 

大好きなplentyの「人間そっくり」という曲の中で、耳に自然と入ってきた歌詞。

 

今は分からない

今まで切り取るなら赤点だけど

この赤点は、なんとなくだけど

補習しだいで変わる気もするんだよ。

 

 

 

冴えないクラスメイトが逃避行のパートナー

終日 霧雨の薄明かりが包む白夜の火曜

気が狂いそうな私は

家出の計画を実行に移してみる

 

冴えないクラスメイトが逃避行のパートナー

彼は無口な上に オートバイを持っていたから

 

サービスエリアで子供のようにはしゃぐ

クラスメイトが呑気で 私も笑う

弟がいたなら こんな感じかも

愚かしいところが とても似ている

 

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無口でオートバイを持っている人が居たら

確かに逃避行のパートナーにはぴったりだ。

 

家出をしたいと思ったことはないのだけれども、それは家出というものが非現実すぎたからであって、

家出したいならきちんとした理由を持ち、それを認められた上で家を出る方が余程現実的だという持論があったので、進学にかこつけて家を出た。それがもう10年前のことらしい。

 

逃避行のパートナーなんていらないから

追われなくていい家出がしたかった。

 

両親には感謝をしているけれど

尊敬しているとか愛しているかと言われれば

口ごもってしまうなあと思う。

 

冷たい娘だろうか。

 

まあそんなことはどうでもいいか。

 

 

他人のことを理解したいと思ったことはなくて

理解できないという前提で

どんな価値観や考え方があるのかには興味があって、人の話を聞くのは好きだけど

 

最近どうにもそれに疲れているらしい。

 

多種多様な考え方はいいと思っているし、

理解できないからといって腹立たしく思うなんて、そんな馬鹿らしいこともないと思うのだけれども、

 

 何度か積み重なると

「いろんな人がいるなぁ〜」

という楽観ができなくなって

「解せん」

という排他的な感情ばかりが芽生えて来る。

 

 

で、まあ疲れていた最近なのだけれども

2018年に入ってから振り回されまくっているとある案件に少し変化が出て、少し疲れが落ち着いた。

 

振り回されてしまうことに疲れるなら

そんな案件早くクローズさせてしまえばいいのだけれども、いかんせん随分と変わった案件なので、今のところ振り回されるしかないんだよな。

 

たとえ疲れても、わたしにとってはこの案件もひとつの逃避行であることも事実なのです。

 

なんか自分の中できちんと完結していないことを話すのが苦手なので、ぼやかした書き方になるねんけども、それなら書くなって話なんやけど、まあ捌け口なので、大目に見てね。

 

 

この逃避行のパートナーは無口でもないしオートバイも持ってない。

 

 

人はみんな孤独だと誰かは言っているし、

孤独では生きていけないと誰かは歌っているし、

よく分からないわ、男女関係含めた人間関係。

 

そんな感じでceroのorphansを聴いてます。

 

 

片目で異常に恋してる

私が愛想つかすことなんてない気がするから

嫌われるって怖がって

愛想つかしたふりならするかもしれない

片目で見た恋 多分引きずるわ

 

でも

 

とりあえず とりあえず

両目で見てみたらそんなに魅力的に見えないし

嫌われるって怖がった 

過去すら笑っちゃう 時間無駄にしたな

 

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数年後か数ヶ月後か数日後か分からないけど

きっとこう思う未来が来るな、と思いつつ

だらだらだらだら片目で恋してる最近です。

 

恋とは少し違うのだけれども。

べつにお一人様に変わりはないのよ。

 

ゲスの極み乙女indigo la end川谷絵音氏が

番組の企画でプロデュースしたバンドの曲が

まさに今の自分にしっくり。

世間様からはいろんな意見があるのだろうけれども、天才だと思いますよ絵音さん。

 

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平成29年度最後の夜は

とてもとても月が綺麗でして、

 

いや別に夏目漱石的な告白じゃなくて

ただの感想なのだけれども、と思いつつ

 

とけた電球というバンドのwelcomeという曲が頭をぐるぐると回る。

 

月が綺麗だね、なんて

あからさまに君を誘ってみるよ

今宵の酔いは深いから

なんて気分は最高だ

 

なんてね、大学生が歌ってるんですけども。

酔いが深いとか、そんな言葉学生の頃のわたしの辞書にはなかったな。

 

 

愛想つかしたふりなんてしないけれども

嫌われるのが怖かったり

素直になれなかったりするのが私の常で。

 

 

でも素直すぎるのもよくないなと思います。 

わたしが素直なときは大体怒ってるか泣いてるときだから、余計にね。

冷静なときに素直になりたいものです。

 

 

新年度初日をバカみたいな二日酔いで迎えて

人を振り回して人に振り回されて

本当に最近の自分はダメダメです。

 

この歳になって酒癖が悪いのは

本当どげんかせんといかん。

 

偶然を運命とか必然に結びつけたがる癖がわたしにはあって、たぶん誰しもにあるのだろうけれども、少しその癖が強い気がします。

 

 

まあそれだけ引き出しが自由自在なんだろう、とプラス思考するしかないな。

 

 

いつものことだけど、今日はより一層独り言のようなブログだな。

 

わたしのことを大事にしてくれる人、もしくはしてくれるであろう人のことを

わたしはいつも好きになれない。

 

わたしのことなんて二の次、三の次で

他のことにかまけている人がいい。

 

ただ

 

趣味も何にも合わなくても

一緒に居ると楽だったり

会ってるときだけ優先順位の1番になれたらいい。

 

それくらいがいい。

 

 

幸せになれないタイプだと言われるし自負もしてるけど、大事にしてくれる優しい人を傷つける自分勝手な自分に苛立つくらいなら、世間一般でいう幸せになんかならなくていいなと思ってしまうのです。

 

わたしのことなんて二の次だっていう人が

会いたいと思ってくれたり、その瞬間だけ愛してくれたりすることの方が

わたしにとっては幸せで、そしてどうやら承認欲求も満たしてくれるらしい。

 

欲求を満たすことは麻薬だ。

 

 

 

 

thanks for comming! see you.