ペトリコール - forget me not -

雨上がりの匂いと勿忘草

わたしたちはいつでもハッピーエンドを待ってるの

10 year!

3月26日は、わたしにとって少し特別な日で

大学進学にあたり、初めての一人暮らしをスタートさせた日です。

 

清水翔太のHOMEとか、

perfumeワンルーム・ディスコを聴きながら

 

寂しいとか不安とか、

そういう感情はいっさい無く、

ただ開放感で満たされた1日だったことを覚えています。

 

2008年の3月26日に、

岡山から兵庫の西宮へ巣立ち、

10年後である今日、2018年の3月26日は

東京で1人で生きています。

 

想像もしていなかっただろうけど

なんとなく、なるように生きているなと思います。

 

2007年の3/26には

当時全盛期だったmixiに日記を書いていました。

 

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いま読み返すと

拙くて恥ずかしい日記なのだけれど、

この頃からブログなりなんなりはしていて

文章を褒めてくれる人がちらほらいて、

書く仕事がしたい、とボヤボヤと思いはじめていました。

 

継続が1番できないわたしにとって、

高校生くらいからHPやデコログ、クルーズ、アメブロはてなブログと媒体は変えつつも

ずっとブログは続いてきたから、

 

仕事にするならこれしかないな、と

思い知ります、10年の月日を経て、より一層。

 

10年経ったけど

あまり何にも変わっていない自分。

 

 

本が好きで

映画が好きで

音楽が好きで

美術館が好きで

コーヒーが好きで。

 

雷が嫌いで

人混みが嫌いで。

 

そして2007年に1year!と題した日記に記された尊敬する人というのを、今も変わらず尊敬していること。

 

東京に出てきたのは、5月だったか6月だったか、、でもその日よりも、関西に出た日を覚えているということは、自分にとって1番大きい変化のある1日だったんだろうな。

 

18歳のわたしは

ただただ開放感と未知への期待しかなくて、当時から、誰も知り合いの居ない知らない土地にいくのが怖くなくて、むしろ全てを断捨離したあとのような清々しさがあった。

 

28歳のわたしは

1人に慣れすぎて、他人を慮ることが下手くそになっている気がして、人間関係に少し怯えを覚えつつ、新たな出会いや身近に楽しめるカルチャーの多さに右往左往している。

 

さあ、1年後、10年後の自分は

どうしているでしょうか。

 

 

どうか何年、何十年経っても 

この日を特別だと思える自分でいられますように。

 

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友達が撮ってくれた28歳のわたしを

記念に載せておこう。

 

see you again!

次の3/26のブログは、いつになるでしょうか。

 

 

 

narcolepsy driver

ナルコレプシー ドライバー

まるでヴェルヴェットみたいな

アスファルトの上すべる

それは等速直線運動

 

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気づけば春になっていました。

暖かかったり寒かったり、今年は花粉もえげつなかったり、優しくない春です。

 

季節が変わる頃に

わたしの脳内にある切り替えスイッチを

きちんとパチンと押すために

することといえば、季節の歌を聴くこと。

 

夏と冬の曲がダントツに多くて

わたしのiTuneには春の曲は十数曲程度しかないのだけれども、春プレイリストをつくりました。

 

とはいえ再生してるのはチルい音楽ばかり。

 

 

一瞬メンヘラソングに傾倒したものの、

戻ってきました、オルタナとチルいのに。

 

書かなきゃなんだけどなーこのへん

放置してる音楽ブログに。

パソコンが欲しい、、

 

タイトルにもってきているのは

ceroナルコレプシー ドライバー。

 

ナルコレプシー てなんぞやってなったら

日本語でいうところの居眠り病ってやつで

 

ひたすら寝てるわたしには

なんともぴったりな言葉なので

最近のヘビロテです。

 

寝付きが悪くて夜更かししてしまうので、

朝だらだら眠りたいし、昼間も眠い。

 

なのに夜になると睡魔がどこかに隠れてしまうから、困りもの。慢性的に眠い。

 

寝る前に落語を流してみたり

快眠BGMを流してみたりしているので

 

なにかしら音がないとうまく眠れません。

それが邪魔なんじゃない?と

思われるんだろうけれども

 

無いとひたすら天井と睨めっこしてしまう。

そういえば、小さい頃から天井とは仲良しだ。

 

春になったからなのか

最近週末にはチラホラ予定がはいる。

 

不思議だなと思う。

 

正直、一緒に居て楽しい人間ではないと思うんですよ、わたくし。

 

話すネタがない。

 

というと、あとあと聞いてない!って言われたり、ネタあるやん!って言われたりするので

 

無いこと無いんだろうけど

 

自分の中で整理できていないこととか

話すの苦手なんだよなと思うのです。

 

わたし自身、自分のことをペラペラと他人に話されるのがあまり良い気がしないので

 

語弊があるな

 

良い気がしないのは、わたしのかなりプライベートなことを話されることだけで、例えば音楽好きな奴、とか、サブカル好きな奴、っていう噂のされ方は大歓迎なんですけど、

 

 

とどのつまり自分は面倒くさい奴なんです。

 

だから別に誰に言っても困らん

当たり障りない話題しか提供できないわけで

 

喋りが達者なわけでも

高尚な会話ができるわけでも

ないわけで

 

だから本当にコミュ障なんだけど

人と会うのが怖かったりすらするんだけど

 

だから

ちょいちょい週末の予定ができたりすると

みんな仏かよ、って思ったりするのです。

 

 

少し前に久々に大学の同期が東京に来ていて

学生時代のサークルメンバーで飲んだのだけど

 

その同期に「絡み辛くなった」って言われて

ああまさにその通り、それで悩んでるんだよ!ってなったんだけど

 

だから最近酒量が多いんだとも思うけど

 

 

いつもの、以前のわたしは

どんなことを話して

どんなふうに人と接してたのかなって

 

ちょっと振り返ったりもするんです。

 

結局原因分からずじまいなんですが。

 

 

心も体もナルコレプシー

 

 

 

君はロックを聴かない

君がロックなんか聴かないこと知ってるけど

恋人のように寄り添ってほしくて

ロックなんか聴かないと思うけれども

僕はこんな歌であんな歌で

まだ胸が痛いんだ

 

君はロックなんか聴かないと思いながら

少しでも僕に近づいてほしくて 

ロックなんか聴かないと思うけれども

僕はこんな歌であんな歌で

恋を乗り越えて来た

 

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これを高校生の頃か大学生の頃に聴いていたら

わたしはこの歌で沢山の恋を乗り越えてきただろう。

 

 

わたしがこれまで恋をしてきた人は

ロックなんて聴かない人の方が多かった。

 

でもロックはわたしの6割を構成しているくらい、わたしに必要不可欠なものだし

 

わたしが言葉にできない気持ちや

わたしを具体化できないあれこれや

ロックにはそれらがあったから

 

わたしを理解してほしいから

わたしを知って欲しいから

 

 ロックを聴いて欲しくて

わたしの好きな歌を聴いて欲しくて。

 

 

傷ついた夜に支えてくれた曲も

傷ついた夜を共に過ごしてくれた曲も

わたしが恋を乗り越えるために

何度も何度も口ずさんでいた曲も

 

すべてわたしの栄養素として

体の中に溜まったまま、まだ中にある。

 

 

別にいま恋をしているわけじゃないのに

どうしてか最近のプレイリストは女性ボーカルの曲ばかり、少しメンヘラ化している。

 

 

あいみょんの君はロックを聴かない 

さユりフラレガイガール

CHARAのタイムマシーン

ACOの悦びに咲く花

 

新旧いろいろな恋のうた。

 

いつもはロックバンドやチルいのやオルタナばかり聴いていたのに。

 

気分といえばそれまでだけれども、

こういう気分になるには理由があるわけで

 

まあその理由というか原因は分かっているのだけれども、それを解決しようとはサラサラ思っていないわけで、

 

解決しようと思えるようになるべく

少し外に出歩いてみないとな、と思うくらい。

 

不毛だなぁ

 

でも完全に不毛だと思っているのならば

そもそも原因を究明して解決しているわけで。

  

君はロックを聴かないし

君は赤色が好きだし

 

わたしはロックばかり聴くし

わたしは青色が好きだし

 

君はお酒をよく飲むし

君は辛いものが好きだし

 

わたしはお酒は嗜むけれど

甘いもののほうが好きだし

 

とびきりのお洒落して別れ話をしにいこう

わたしのことなら全部もう知ってるとか

勘違い 気付いてね 今のわたしで

 

とびきりのおしゃれして別れ話をしにいこう

最初とかいつかより今日を思い出してね

とびきりのおしゃれして別れ話をしにいこう

ちょっと今 ちょっと今 後悔とかしてる?

 

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別れ話をしに行くのに

とびきりのおしゃれをしていくっていう

その発想がわたしには出来なくてとても好き。

 

ドリカムのマスカラまつげって曲もも  

表現や雰囲気は同じだよな。

2回やり直して1番かわいいわたしで居たのに、マスカラのまつげのおかげで涙はグレー。

あれはフラれる話だったかな。

 

SHE IS SUMMERなんてアーティスト名も

なんだか500日のサマーみたいでかわいい。

 

 

前回の記事、もうメンヘラ爆発で

自分でもびびる書き殴り具合なんだけど、

読み返すのもだるい文字数だから

あんまり読み返さないだろうし、

 

記録としてとっておこうと思います。

4,000文字とか気狂ったとしか思えない。

 

 

今日も別に書きたいこととか書くべきこととか

そんなものは一切ないのだけど

あの記録がトップに上がってるのは

なんとなく嫌なもので

上書き、上書き。

 

 

読み散らかしてる本たちと

どう頑張っても拾いきれない音楽たち。

 

若い時のアンテナと吸収力が

とてつもなく惜しいなあと思いつつ。

 

 

2月はどうにも体が重い。

ついでにいえば頭も心も重い。

 

部屋を掃除してみるか、と思っても

それすら怠くてなかなか動けていない。

 

観たい映画はあるのだけど

家で観ると寝落ちするしきちんと観られないから、なかなかおうち鑑賞モードにならない。

 

古いPCで見なきゃいけないってのも

あると思うのだけど。

 

3つほどDVDをもらったのだけれども

まだ未開封だしな、面白そうなのに。

 

今年はクサヴィエ・ドランとフランソワ・オゾンを観るって意気込んでたのに。

 

でも週末久々に名画座に行こうとしてるので

そこで映画スイッチが入ればいいな。

 

行きたい美術館というか展示会というか

そういうのとあるのだけど

時間が合わなくて、うーん。

 

時間を無駄にするという贅沢を

浴び続けている毎日だなあ。

 

今わたし誰と会ったらどんな話をするだろう。

いつもどんか話をしているんだろう。

 

めっちゃ喋るやん、と言われつつ

その実、あまり話していないとも思うのだ。

 

でも皆そうなんだろうな、と思う。

 

 

表面的なことなら話してると思う。

兄がいて母がいて父がいて

それぞれ物理的にはどんな人間かということとか。

 

話すことは苦手だ。嫌いじゃないのに。

 

なんかゆっくりお酒を飲んでいないなぁ。    

別に飲まなくてもやっていけるんだけど。

 

前回吐き出したから空っぽだ。

でもまだどこかに吐きたいものがある気がする。

 

 

どこだ どこだ どこだ どこだ

 

そういえば髪を切ろうと思った。

こういうときは機嫌が悪い。

 

気分を変えるのに手っ取り早いのが

髪を切るという行為なのだ。

 

美容院は苦手だけど。

 

 

だからわたしの髪は伸びないし

その変化なんて誰も気付かないようなものばかり。

 

なんの意味があるんだろうなぁ。

 

 

音楽を聴くこと

本を読むこと

たまに映画を観ること

 

わたしは飽食なのでしょうか。

せめて実用書なら何か意味があるのかな。

 

ああ、生きていくのが面倒くさい。

どうやら電池切れの時期らしい。

 

朝方のバスタブ

久しぶりにちょっとパニック状態なので、

誤字も脱字も、めちゃくちゃな「てにをは」も、気持ち悪い自分語りも、バラバラな一人称も、何も気にしないで書き殴ります。

 

まるでアンネの日記のよう。

紙は辛抱強い、それはウェブになっても同じことみたい。

 

秘密の話も毎日の瑣末なことも、ぜんぶぜんぶここに吐き出してしまっても、取りこぼすことなく受け止めてくれる。

 

 

今のわたしは、うまく言葉にできない感情の坩堝だ。溢(あふ)れる、溢(こぼ)れる。 

 

今にも泣き叫んでしまいそうな状態でも、

坩堝(るつぼ)という言葉の遣い方が正しいのか自信がなくて、わざわざ調べるくらい言葉に真摯に向き合う自分が嫌いで好きだ。

 

それだけ正しく、伝わってほしかったり

それだけ正しく、記録しておきたかったりするのだ。

 

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映画を観て涙が流れることはあったし、

 

10代の頃に聴いた音楽は、今でも聴くと当時を思い出してはこそばゆい感覚になるし、

 

基本的に冷静でテンションが低空飛行な自分ではあっても、表現力は無くとも感情が薄いわけでは決してないと思っている。

 

繊細だとは思わなし

図太いとも鈍いとも思わない。

 

些細なことに傷付くことだってあるし

知らないうちに大事な人を傷付けていることだってあるだろう。

 

 

涙を流したり

傷ついたり

傷つけたり

笑ったり

怒ったり 

 

することはあるけれど

 

「泣く」という行為を

ここ何年していないか分からなかった。

考えたことがなかった。

 

 

最後に泣いたのがいつか分からない。

 

ここでいう「泣く」ということは

「わけも分からず泣きじゃくる」という意味で

 

※わけも分からずを、訳も分からず、もしくは理由も分からず、と書かずに平仮名で表現しているのは、「わけ」に「訳」も「理由」も入っているからだ。

 

 

結婚式での感動の涙とか

そういう部類のやつは含まない。

 

そういう意味で最後に「泣いた」のは、

いつのことだったか覚えていない。

 

 

泣きたいのに泣けなくて

つらくてつらくてしんどかった記憶があるのは

24歳のときのことだ。

 

泣いてしまえたら楽なのに

泣きたいのに

なんで泣けないのか、と

眠れない夜を1人過ごしたあの日のことだ。

 

それ以前で、なんとなく覚えているのは19歳かハタチくらいのときではないかと思う。

 

大好きな大切な特別な人を

今まさに失うかもしれない、それくらい傷つけてしまった、あの日のこと。

 

 

ハタチだとしたら、かれこれ8年の間

私は泣くことをしてこなかった。

 

 

なんて不健康なんだ。

 

泣くことはデトックスと一緒だと思っていて、

特に、今わたしを苦しめている言葉にできない感情とやらは、涙にして出すのが1番なのだ。

 

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そう、こういうこと。

 

 

それを8年もしてこなかった。

きっとわたしの体は毒素だらけだったことだろう。重たい重たい体だった。

 

 

それが今日、突然壊れた。

 

 

声を上げて泣いて

自分でもびっくりするほどに泣きじゃくった。

 

泣き疲れてそのまま眠った。

 

 

最近の私は確かにおかしかった。

 

ずっとシティーポップやブラックミュージック、オルタナロックを聴いていたのに

 

急にsalyuの「name」という曲の歌詞が頭をもたげたりしたのだ。

 

“早く 早く 早く名前を

呼んで 呼んで 仲良くしてたいよ

どうして目覚めて涙が出ちゃうくらい

好きになってしまったの あなたを

name うわごとのような響き”

 

 

名前を呼ばれたいと思うことは少ない。

 

正確にいうと、

名前を呼ばれることは好きだ。

人が言われて1番嬉しい言葉は名前だという説があって、それに賛同できるくらいには好きだ。

 

でもそれは日常においてであって、

 

ここで言う「名前を呼んでほしい」は

「愛していると言って欲しい」ということだ。

 

人生で2度、「名前を呼んで」と懇願したことがある。

それは2度とも特別な人と抱き合っている最中のことだ。

 

わたしがここで言う「名前を呼んで」は

「愛していると言って」ということなのだ。

 

 

愛しているという言葉を言われるのは好きではない。

「愛してるよ」よりも「大好き」の方が君らしいんじゃない?って宇多田ヒカルも歌っていたし、これにも賛同している。

 

名前がいいのだ。

愛してるなんて嘘でも言える言葉じゃなくて

嘘のつけない名前を呼んで欲しいのだ。

 

 

その人のことを愛しているのかは分からないし、その人もわたしを愛しているのかは分からないけれど、

ただそのときだけは、

その瞬間だけは、

わたしのことを愛して、と思ったのだろう。

 

 

そしてとにかく眠れない日が多かった。

体は疲れているし、心も疲れていたと思うし、

でも愛されたいと思ってしまったりもしたし、

心と体が疲れに疲れているのは感じていた。

 

追いつけなかった。

 

今自分の身に何が起きているのか

分からなくて、身動きが取れなかった。

 

 

今日泣きじゃくってしまったのは

おかしくなってから初めて非日常な1日を過ごしたからなのかもしれない。

 

ただほんのちょっとの遠方に足を延ばしただけなのだけれども、キャパオーバーになったのかもしれない。

 

 

眠れなくて困っているわたしが

いつ眠ってしたのか分からないくらいに

疲れ果ててしまうまで泣いて

 

目が覚めた今も

泣きじゃくってしまいそうで

 

誰かと話したくて

誰かの声が聞きたくて

でもこんな早朝(そのときの時刻は朝6時前)に誰に電話をしていいのか分からなくて、

電話をしたところで何を話していいのか分からなくて、

 

 

とりあえずバスタブにお湯を張った。

 

バスタブにお湯を張るなんて洒落た言い回しをしているのには理由がある。

これも自分がおかしいと思った理由のひとつで、昔の愛読書を読み返したことだ。

 

冷静と情熱の間。

日本とイタリアの想い他人(びと)たちの話。

 

 

そもそも最近は前しか見ていなかったのだ。

音楽にしろ映画にしろなんにしろ

最新のカルチャーにアンテナを張っていたのに

 

急にsalyuの昔の歌が頭をもたげたり

昔の、19年前の本を読み返そうと思ったり

 

過去に通り過ぎてきた事象や物事を

もう一度吸収しようというときは

ロクなことが起こらないのだ。

 

 

なぜなら、確実に自分が必要としているものを摂取しようとしているから。

 

これを聴けば

これを読めば

こういう気持ちになれる、こういう言葉を紡げる。

 

つまり栄養失調状態になっていて、

確実にどの要素か分かるもので、それを補おうとしているわけだから

 

心神喪失状態だ、と

体が、心が、SOSを出しているということになる。

 

 

その心神喪失状態が遂に爆発してしまって

泣きじゃくって、でも足りなくて、

そう、今バスタブにお湯を張ってこれを書いている、もうかれこれ2時間近く。

 

 

冷静と情熱の間 rosso の主人公であるあおいは

とにかくお風呂によく入る。

 

夕方のお風呂は、きちんとした社会生活を送っていない自分にぴったりだ、と

好き好んで何度もお風呂に入る女性だ。

 

同居している恋人と喧嘩になったとき

君はまたバスタブに逃げ込む、と

その恋人に指摘されるシーンがあって

 

なんとなくわたしも逃げたくなって

バスタブにお湯を張ったのだ。

 

 

お湯に浸かると少し気持ちが落ち着いた。

 

わたしは基本的にシャワーばかりの人間だから長湯できなくて、お湯に浸かったり、浴槽の隅にすわったりを繰り返しているだけなのだけど。

 

そう、夕方ではなく朝のバスタブで

わたしは泣く代わりにこれを書いている。

 

 

電話をかける相手がいないことも辛かった。

思い浮かんだ人は2人居て、

2人ともこのブログを知っている人なのだけど

 

できなかった。

 

なぜか?

 

未だに中学時代のトラウマが残っているのだな、と実感したのだけれども

 

わたしはとにかく人の顔色に敏感なのだ。

 

自由気ままで興味があることにしか動かない怠け者でらあるけれども、自分の意見を押し倒したり、なんなら意見を述べることすらあまり無い。

 

誰かを我慢させてまで

自分の意見を通したくないのだ。

 

意志薄弱だと思うか?

思えばいい、それでわたしは自衛しているのだから。

 

中学の頃、初めて友達と喧嘩という喧嘩をした。

 

キッカケは共通の友達に「あの子、裏で悪口言ってたよ」といわれただけの、今思えば些細なことなのだけど、

 

わたしにとってそれは初めて向けられた敵意で、どうしていいか分からなくて、

でもわたしはその子に直接話をしたのだ。

 

 

色々話して解決して、

これからはもっともっと心を開こう、と

そう決めてその子に長い長い手紙を書いた。

 

 

そしたらその手紙の内容を

その子は他の子に宛てた手紙でバカにしていた。たまたま見えてしまったのだけど。

 

 

そこからわたしはかなり閉じこもった気がする。学校には行ってたし、知らぬ顔でその子と一緒に過ごしたりはしていたけれど、

 

 

とにかく人に心を開かなくなった。

裏切られる、なんて言うと大仰だけど、

もうあんな悲しい思いはしたくないから

本音も弱音もあまり吐かなくなった。

 

 

人嫌いだと思っていた。

でも大学に入ってとそれは続いたけれど、

大学最後の誕生日に貰った手紙に

「最近自分のことを話してくれるようになって嬉しい」と書かれてあった。

 

人生において、自分に影響を与えた言葉はいくつもあるけれど、この言葉ほどわたしを救った言葉は無いと思う。

 

 

許された気になった。

 

自分のことを話していいのだ、と。

それを嬉しく思ってくれる人が居るのだ、と。

 

それでも、毎日の瑣末なことを話すことは苦にならないけれど、今でも自分の話をするのは苦手だ。

 

特に、こんなわけもわからない感情に悩まされて苦しんでいるとき。

 

なにをどうやっても楽しい面白い話にならないから、聞く人を不快な思いにさせるのではないか、不快な思いをさせたら、また距離を取られるのか、

 

そう思うと何もできなくなった。

 

もちろん時間帯が非常識ということもあったけど。

 

だからとりあえず無茶苦茶で支離滅裂でもいいから書いた。

 

この気持ちが風化しないように。

こう思っていたの、だから話がしたかったの、と言えるように。

 

のぼせてしまうからそろそろ出よう。

もう少しだけ寝よう。

 

原稿用紙11枚分にもなってしまった。

 

まだ泣きたい。

でもさっきのようにうまく泣けない気がする。

 

夢の中でなら泣けるだろうか。

 

バスタブのお湯を戻したら、

しばし目を閉じてみよう。

 

 

 

 

thanks for comming! see you.