ペトリコール - forget me not -

雨上がりの匂いと勿忘草

わたしたちはいつでもハッピーエンドを待ってるの

いつまでも君の横顔見ていた

君の機嫌は天気雨

土砂降りなら中央線で

 

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横顔を見るっていう表現がとても好き。矢井田瞳は "横顔はもう飽きた こっち向いて" って歌ってるし、YUKIは "いつまでも君の横顔見ていた" って歌ってる。

 

向き合っていない関係性が片想いを彷彿とさせるよね。日本語の表現の幅とか、受け取り手の感受性任せというちょっとした博打感が好きだ。

 

 

中央線に乗ることはあまり無い。新宿で乗り換えるのも面倒だし、そもそも用事があまりない。でも中央線沿いの街は好き。

吉祥寺、阿佐ヶ谷、西荻窪、高円寺、中野などなど。グルメとかカルチャーとか、独特な雰囲気を持った街が並ぶその沿線はとても魅力的。

 

中央線に乗るときはYUKIの「2人のストーリー」を聴く。小田急線に乗るときは19を聴くし、自由が丘ならチャットモンチーを聴く。高円寺はもちろんゴイステだ。

 

大好きな歌の舞台となったその街々に憧れて、わたしは東京にやってきた。仕事という大義名分を掲げて。

 

 

横顔の話に戻るけど、そういえばYUKIは「ひみつ」という曲で "わたしにだけ見せてくれる横顔を知ってしまったの" とも歌っている。

 

学生時代のとある時期、よくこの歌を聴いていたのだけど、友達から「これ不倫の歌だよね」と言われてハッとしたことがある。

たしかに歌詞を見るとその通りで、というかもはや不倫の歌にしか聴こえなくなったのだけれども、このとき私は片想いのような恋人が居たから、不倫じゃないけど似たようなものだな、と、この曲ばかり聴いていたことが腑に落ちたことがある。

 

恋人同士だろうが不倫だろうが片想いだろうがそうじゃなかろうが、想いが一方通行なときは往々にしてこういう気持ちになるんだろうな。

 

鼻筋がきれいな人が好きだから、横顔を眺めるのはとても好きなのだけど、切なくもあるのも事実。

 

 

中央線から井の頭線、そして山手線と河岸を変え、いまは池袋でこのブログを書いている。

 

池袋のときはSADSを聴くのだけど、今はそんな気分じゃないなぁ。ベルベットの空にはまだ遠いし、今わたしは西口じゃなく南池袋公園にいる。忘却の空を聴くならIWGPじゃないと、ね。

 

 

いま1番楽しみなのは火曜日に届くお洋服。

ユニクロZARAH&Mヘビーユーザーだったわたしが、珍しく2万近くする服を買って、それが届くのだ。

 

少し前にも書いたけど、30歳手前になってお洋服が大好きになってしまった。基礎化粧品にお金をかけるべき年齢なのに、出掛けたくなる、見せたくなる、遠回りしたくなる、そんなお洋服が欲しくて散財しがち。

 

 

たぶん今のわたしは承認欲求に飢えているんだよなあ。分かりやすく見えるもので自分を表現しようとしているあたり。

 

どこまでいっても自分のことばかりで情けなくなるなあ。そんなテーマの映画もあったなあ。あの映画が私はとても好きだった。

 

明日には変われるやろか

明日には変われるやろか

明日には笑えるやろか

花ビラ3枚数えたら いつかは言えるか スキ キライ スキ

 

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読書が捗らなくて困っている。そもそもあまり「本を読もう」って気持ちにならない。それでも電車なり用事の合間なりで時間ができれば読むかもしれないからと、鞄の中にはいつも文庫本を入れている。

 

ただ、別に鞄の中に入れっぱなしになっている文庫本は、いつかの自分が読んだ本であって、今の自分が読みたい本ではない。そんなわけだから結局スマホなりPCなりを開いてしまって、なんの実にもならないサイトやらSNSをひたすらに徘徊している。

 

 

気がつけば2018年の七夕が目前だ。

 

詳しくもなければわざわざ見にも行かないけれど、子供の頃から何故か星が好きだ。遠くで塵が爆発してるだけだとしても、そこに語り継がれる神話や物語が好きだ。それもかじっただけで全部は知らないし、知りたい時だけググるだけなのだけど。

 

織姫と彦星が1年に1度しか会えないことや、その大切な逢瀬のために天の川というものが流れること、なんてロマンチックなんだ!と感動しては空を見上げて川を探したりしたものだけど、「仲良くしすぎて仕事に支障が出たから引き離されただけ」という説を知った今では空を見上げることすらしていない。

 

 

代わりに、というわけではないけれど、この時期は星の王子様を読み返すことが多い。

 

作品を知ってはいるけど内容は知らないまま大人になって、確か25とか26のときに初めてきちんと読んだ気がする。大人への皮肉たっぷりで、ああなんてステキな本なんだろう、と思った。

 

で、2018年のこの時期も読み返してみたわけめござる。

 

全然捗らなかった。

 

内容は相変わらず素敵だと思うけど、まあ俗世間から離れて生活している今のわたしにはそこまで響くものではなかっただけの話だ。

そうなるとこれまでの自分がどれどけ人間関係に疲弊して生活していたのかがよく分かる。

 

 

読みたい本とかガンガン読み進めちゃう本が無いというだけで800文字くらいの駄文を書いた。普段からこれくらいのスピードで書けたらな。

 

 

ちょっと前に、心と体と頭がぜんぶ違う動きをするようなことがあった。

すごく疲れる体験だったなあ。まあ、そのことはまた気が向いたら書くけど、多分書かないような気もするなあ。

 

 

大雨で災害も出てる中、珍しく少し遠出してきます。晴れるかな。

 

一段低い所に置き換えたシャワーが

たまらなく この上なく愛しかったよ

簡単に水に流せない思い出

 

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体の中がよろしくない。

いつも1,2週間分の食材をまとめて買って冷凍しているのだけど、買い出しにいけないまま冷蔵庫の中がほぼほぼ空になってしまった。

 

買い出しに行こうと思えば行けたのだけど、買って切って小分けにして冷凍するという一連の行動をこなす元気が、昨日のわたしにはなかった。

 

来週くらいに実家から野菜が届くとういうから、それがくるまで買い出しも控えたくて、結果最低限の食材や出来合いのお惣菜しかおうちに無い。おかげで太った。家に体重計がないので事実確認はさておき、太った気がする。

 

1週間のうち1,2回くらいお風呂にお湯を張る。出たり入ったり戸を開けて涼んだりしながら、気がつけば3時間くらい平気で入ってる。その間めちゃくちゃ水分補給をするわけだけど、水を飲んで汗をかいて、わたしは何がしたいんだろうな。まるで理科の実験でろ過するときにつかった「ろうと」みたいだなぁ、なんて思いながらお湯につかる。

 

眠りが訪れるのを待つ数時間、そしてお風呂につかる数時間、なにをしているかというとひたすらボーッとしている。

本を読むなり映画を観るなり、有意義な過ごし方はあるのだけれど、なにもしたくないのだ。ただただ時間を無駄に過ごしている。

 

 

最近は読みたい本にも中々出会えない。

これはヤバイと思って慌てて本屋に駆け込んで、フィーリングで本を手にとって何頁かパラパラめくって、これなら読めるかな、というものを買ったにも関わらず、1/6程度しか読み進まないまま積ん読リストに入ってしまった。

 

 

映画はちらほら観てる。

でも面白いな!いい映画だったな!っていうものには出会えていない。名画座にいこうと思っていたけど、多分今のわたしは何を観ても面白く感じないんじゃないだろうか。

 

 

とどのつまり、最近の自分、特に今日の自分はブレーカーが落ちる寸前だ。久しぶりにきたこの感覚は、昔よく感じたものだ。

 

こういうときは、何を食べても何を見ても何を飲んでも何を聴いても心があまり動かない。不機嫌で居たいから極力人にも会わない。不機嫌で居たいというのはわがままだろうか?それを人にぶちまけるわけじゃないから放っておいてくれと心から思いながら、わたしは1人で全力で不機嫌で無為な時間を過ごす。

 

 

部屋を片付けても太陽の外に出ても無意味だ。というかそれができるならブレーカーはまだ落ちない。

 

週末少し天気が不安だ。珍しく少し遠出する予定があるのに。そしてわたしの心模様も不安だ。どうにか雲間から光が差し込みますように。

 

 

おびただしい千辛万苦も承知の上

憧れのあの子は雲の上

愛されたいよと大きな声で 泣いてる怪獣

 

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梅雨はどこにいった。

 

梅雨だなぁ、なんて実感した期間はトータルしたとてせいぜい1週間かそこらしかない気がする。せっかく買ったショートのレインブーツは1回履いただけで棚の奥底にしまってしまった。

 

天気が良いと家から出ないともったいない気持ちにはなるのだけど、焼けたくないし汗っかきだから恥ずかしいし化粧どろどろになるし、結局あまりなにもしていない。

 

 

暑さのせいではないのだけれども、とにかく最近は不眠症で困っている。 

 

眠れなくて寝不足のまま予定をこなして、クタクタなはずだし眠いのにベッドに入ると目が覚める。新聞配達のバイクの音を聞かずに眠ることがあまりない。

 

夜というものは本当に不思議なもので、くだらない悩みが深刻になり、ちょっとした自己嫌悪が病みになり、そのストレスで更に眠れなくなり、メンタル的な夜がどんどん深まっていく。

 

眠れない夜に映画なり本なりを嗜めばいいのだかど、寝落ちするのがもったいなくて敬遠してしまう。寝落ちすればいいのに、そこは目的が違うから手段としても取れないという感じになってしまっている。面倒かよ。

 

 

眠れない夜に魚喃キリコとか渡辺ペコの漫画を読むのが好きだ。

 

関係性に名前をつけるとしたら愛でも恋でもない火遊びのようなものに、それでも心は介在していたのだと思い知るような作品が多い。

 

そんなもんだから学生の頃よく聴いていたYUKIの「鳴いてる怪獣」が頭をよぎった。歌詞の中で怪獣は 泣いてる から 鳴いてる に変わっていくのだけれど、まあそれは今は関係ない。

 

 

一般的な意味での恋愛沙汰はご無沙汰だ。

 

東京へ来て丸3年、もう4年目になるわけだけど、そういえば私は「この人に愛されたい」と思ったことが無いように思う。

 

というか多分人生でそう思ったのは1回か2回か、そんなもんだ。

 

寂しいと思うことはあまり無いけれど、自分らしさがどうとか個性がどうとか、そういう自分にしか無いなにかを探しがちなタイプではあるから、存在価値の確認とか承認欲求とかはある。

 

思えばわたしはそうやって、言葉は悪いけど疑似恋愛的なものでそういうものを満たして来たなと思う。

 

1番になれるものはないけれど、恋愛というカテゴリーであれば可能性は無くはないんじゃないか、でも得る努力も失う悲しさも背負いたくないから、じゃあ都合のいい恋に身を任せるか、的な。

 

 

2日連続夜が遅く朝が早かったから、目の下には恐ろしいほどのクマができているにも関わらず眠れなかった昨日。

 

で、なんとなくグルグル回っていた頭に降って来たのは愛されたい愛したいという基本構造に基づいた愛のある事がしたいということ。

 

回りくどいものの言い方が得意な女は損をするし可愛くないなと思うけれど、わたしはそんな煩わしさが好きらしい。

 

 

でも千辛万苦はごめんだな。

 

 

 

XYZで始まる時系列があったって構わないから

まぁそれも俺だし

それじゃないのも俺だから

あんまり気にすんなって

好きなものは好き

好きじゃないのもたまに好き 

そういうもんか

 

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2018年が半分終わった。なんてこった。

えっ早くないですかボルト並みじゃないですか

100m10秒とか体感してませんけど早くないですか。

 

ブログを書いていない間なにをしてたっけ。

なんか仕事もらうためのトライアル記事書いてたりしてた。あ、でも結構遊んだな。

 

あんまり友達と飲みに行くことないんだけど

週末はちらほら飲んだ気がする。

私にしては珍しく静岡に1泊しに行ったり。

 

都内を運転するのはすごく嫌だなと思ったけど

静岡の田舎道を運転するのは楽しかった。

 

そういえば岡山で営業職をしていた頃は

車がないと生活できなかったから

毎日車を運転していたわけだけど

 

それこそすっぴんでどこにでも行けたし

いい感じに何も考えずに

目の前の道路とハンドル操作と

車内でかける音楽にだけ集中できるから

すごくすごくリフレッシュできる。

 

数字に追われて余裕が無かった毎日を

なんとか過ごすことができたのは

そういうリフレッシュがあったからだろうなあ。

 

 

歩くのが好きで

よく何駅分か歩いたりするのだけれども

最近はお天気と気温でサボりがちである。

 

 

冬はまだしも、この時期にレインブーツってなんだか合わせにくくて、

今週はずっと雨だから、ようやくショートのレインブーツ買ったのに、なぜか今日は晴れたのでまだ箱に入ったままだ。陽の目を見ない子。

 

 

毎日がゆるゆる猛スピードで過ぎて行く。

 

最近はちょこちょこ映画に行っている。

珍しくTOHOシネマズに行ったら、スクリーンが大きくて客席が多くて疲弊した。

行きたかった映画館はチケット完売で行けなくてTOHOに行ったのだけど、わたしはやはり小さい映画館が好きだ。

 

本をぜんぜん読んでいない。

本屋が近くに無いのと、知ってる本屋は本が探しにくい。雑貨屋さんなのか?ってくらいいろんな本を色んなディスプレイで置いているから、なんだか足が遠のいている。

本棚に並べられた本を、ぐるぐる見回って直感と贔屓の作家さんの作品を手に取るのが好きなのに。

 

音楽はBGM程度に聴いている。

youtubeでオススメに上がってきたSIRUPというアーティストを特に聴いている。

3年変えていなかったLINEのアイコンを変えたついでにBGMもSIRUPに変えた。

ゆるいチルい音楽が聴き心地良くて好きなのだけど、やっぱり泥臭いロックも好きで、最近はtetoというバンドの曲が好きだ。曲というか歌詞が好き。タイトルと冒頭もtetoの曲。

 

1人でいるとき

誰かといるとき

家族といるとき

好きな人とか気になる誰かといるとき

 

それぞれでわたしはまるで人が違う。

誰か が変わればまたわたしも変わる。

でもどれも自分で、そこに嘘とか誇張はない。

 

なんでなのかなー、とは思いつつ

やはりどこか違和感があったのだけど

それが払拭される歌詞だな、と思って

ついつい残しておきたくて書いてみた。

 

まあ、それも私だし

そうじゃないのも私だし

好きなものは好きだし

好きじゃないのもたまに好きだし

 

それでいいのか。

 

ABCから始まらなくても

XYZから始まってしまっても

 

 

thanks for comming! see you.