ペトリコール - forget me not -

雨上がりの匂いと勿忘草

わたしたちはいつでもハッピーエンドを待ってるの

もどかしさを誤魔化してみるのさ

幾何学的に単純で迷惑な この僕の心を

愚かしくも愛せはしないだろうか

容易いようで難解な身悶えること 僕の心を

 

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plentyの『シャララ』という曲の歌詞なんですが、Mr.Childrenの『ラララ』みたい。

 

シャララは

幾何学的に単純

 

ラララは

太陽系より果てし無く コンビニより身近な

 

 

心とは 思考とは

そんなもんですよね。

 

自問自答しては 分かった気になり

退屈していく 普通の憂鬱

 

この歌詞(シャララのほう)見たとき

腑に落ちるってこういうことか、って実感。

 

憂鬱なんて

毎日のように抱えるものなわけだけど

その正体って

そういうことだよな

 

不満でも、不遇でもなくて。

ただ退屈なのかもしれない。

 

忙しぶってるわたしは

別にほんとに忙しいわけではないし

 

だからといって刺激を求めているわけでもないのだけれど、だから退屈で。

 

 

最近映画をチラホラ観ました。

 

マリアンヌ

LA LA LAND

愚行録

 

わたしが洋画観るなんて珍しい。

食わず嫌いというか、嫌いじゃないけど

興味を持とうと思っているのです。

 

 

洋画の方が

起承転結がしっかりしてて

ストーリー性もしっかりしてて

とても観やすいのは間違いない。

 

あと気付いたことがある。

 

洋画を観てる方が、きっと会話上手になる。

 

洋画で描かれる会話は

いつもウィットに富んでいて

頭の回転の早さに憧れる。

 

 

24歳か25歳頃から、

話下手を克服したくて落語に手を出した時期がある。

 

いやいまでも寝れないときに聞くと

すんなり寝落ちできるから聞いてはいる。

 

古典落語だと何言うてるのか分からへんこと多いから、学生の頃のつまらない授業のごとく眠れるのです。

 

 

東京に来てやりたかったことの一つに

寄席に行く というのがあるのだけど、

うーん、未達。

 

結局話下手とか上手云々の前に

ネタという引き出しがないとダメなのだけど。

 

ネタなあ、、

好きなものたくさんあるはずなのに

興味あるものが狭すぎてダメだなあ。

 

 

マリアンヌもランドも

切なくて寂しいけれど

どちらも愛がテーマになっているわけで、

 

愚行録は、妬み嫉み、歪んだ愛や憧れがテーマになっているわけで、

 

ウキウキしたいわけじゃないけど、

明るくはならない色々に

今日も今日とて退屈なのです。

 

その退屈を、憂鬱を

抱えては捨て、拾っては減らし、

そうやって誤魔化して誤魔化して。

 

 

 

 

thanks for comming! see you.