ペトリコール - forget me not -

雨上がりの匂いと勿忘草

わたしたちはいつでもハッピーエンドを待ってるの

Webライター歴がトータル1年を超えたので"書く仕事"について不満とか必要なスキルとか書いてみる。


書くことを仕事にするということ
 
そもそもわたしがライターになったのは成り行きである。
名乗ったもん勝ちの世界だ。なんの資格もいらない。
 
 
ことWebメディアのライターは副業でやってます的なものも多い。
会社では雇用せずに外注や委託をしているところが多いだろう、それらをまとめるディレクターが居ればそれで回るし、コストもかからないのだから。
 
Webメディアは質より量的なところがあって、
クソみたいな記事もごろごろとある。
バズればそのテーマをこぞってパクるので情報は氾濫。
 
読んでいて楽しい文章はあまりない。
読みやすさが重視されるからだ。
 
読み応えを求めるのは小説が好きで家の本棚に文庫本がぎっしり詰まっている系の
おそらく現代では少数派になってしまうような人たちくらいだ。
自己啓発とかビジネス本は読まないけど、そういうのは分かりやすさのほうが優先されているだろう。
 
Webではカロリーメイト的な文章にしなければ読んでもらえない。
お手軽に栄養が取れるけど別においしいわけではないように、
うまくはないけど分かりやすいし手っ取り早く情報収集できるものにしなければならない。
 
 
で、私はWebのライターをやっているわけだけれども、
その内容はどういうWebメディアかで全く違うと思う。
 
ターゲット層がハッキリしたメディア(ママ向け、働く女性向けなど)
テーマがハッキリしたメディア(エンタメ、美容、ハウツーなど)
この2つだけでも全然違う。読み手が決まっているのであれば、書き手はその読み手を操らなければならないのだ。
 
好きなもの書いてお金貰えるっていいなと思ってるやつはライターにはならないほうがいい。
フリーランスだとしても、寄稿する先に合わせた編集は必須なのだ。
 
そもそも仕事というものはそうだ。
 
前職は求人広告の営業と制作だったが、
人が好きだからとか、人と人をつなげたいとか、
そういうふんわり鏡月チックな考えで人材業界に入るとえらい目に合う。
 
 
やりがいは確かにある。
人の人生に大きくかかわってくるからだ。
 
ただ成果は基本的に報告されない。
採用できました、応募がありました。
聞こえてくる反応はそんなものだ。
 
自分のつくった広告がどんなふうに人の人生を変えたかなんてわからない。
 
 
いろんな面倒くさい規定はあるし、
数字を稼がなければ仕事として成り立たない。
 
 
 
書く仕事をしているのに、なぜブログもしているかの答えはここに繋がってくる。
好きなものを好きなように書けないからだ。
 
 
書く先のメディアの利用規約を守りながら、
入れなければいけない内容をどう盛り込み、いかにPVをあげるか。
そして関連リンクをクリックし流入をしてもらわなければならない。
 
窮屈な思いをしながらひたすら文章を書き飛ばさなければならないのである。
 
 
 
書きたくもない文章を書かねばならないときもある。
低俗で明らかな"釣り"記事を書かねばならないときもある。
 
その書きたくもなかった記事に自分の名前を記載しなければならないのは、ちっぽけなプライドを非常に傷つける。
 
 
 
私の書く仕事で必要なのは何より読む力
 
私のメディアはブログのようなメディアだ。
投稿されたものをSNSや他メディアの配信で拡散していくのが仕事。
 
 
つまり書く記事は紹介文要素を含むものとなる。
 
 
投稿されるものは一般の人が書いているので
そのまま配信することは8割不可能だ。
 
 
なので関連するニュースやデータを引っ張り、
情報量の多い記事にリライトする必要がある。
 
そっくりそのまま転載してもいいのだけれども、
そうするとリンクのクリック率が下がり、流入が見込めない。
単純なPVは全転載なのだが、クリック率を上げようとすると骨を折らねばならない。
 
 
つまり記事にするコンテンツの選定をし、
コンテンツの意図をきちんと見極め、
そこから関連する情報を探し、
それらを整理して書き始めなければならないわけで
 
そりゃあもうとにかく読まなければならない。
 
サイトの管理もしているわけで、
規約違反のものは非表示に戻さなければならないわけで
投稿されるものすべて目を通さなければならない。
 
 
面白いものもあれば、読むだけで鬱になるようなものもある。
それを毎日するわけなので、なかなか精神的にキツイものがある。
 
 
記事に直すのが1番時間がかかるのだけれども、
負担なのはSNSだ。
 
ギュッと凝縮した一言で流入を促すのはなかなか難しい。
これを毎日更新するわけだけれども、毎日いいネタが転がっているわけではないので
普段から使えるコンテンツを選定しなければならない。
 
 
自分の采配でできるならまだしも、
たまにクライアント絡みのものがあるとストレスはマックスとなる。
 
 
同じようなテーマのものばかりポストされると腹が立つし飽きる。
自分がユーザーだったらそう思うであろうことをしなければならない。
 
 
たまに「これはもっと世の中に広めねば!」という使命感にかられるくらい
素敵なものも見つけることもあるのだけれど、まぁ稀だ。
 
 
 
世間と自分のズレ、好き勝手言われるネットというフィールド
 
バズりそう、自分なら読みたい、時事ネタとかなら結構頑張ればバズる。
ただ私が配信するのはそのどれにもかすらない。
 
個人が投稿したブログのようなものをシェアするわけなので
タイトル勝負的なところがある。
 
タイトルで入ってファーストビューで有益な情報が無いと記事は読まれない。
 
 
これなら興味のある層がいるかもしれない、
この文言にすれば多少数値が見込めるだろう、
 
そう考えながら書くわけなのだけれど、
これが的中する確率は5割を下回る。
 
逆にこれ微妙やろって思っていたものがそこそこのPV数値を出すこともある。
 
 
世間の感覚と自分がズレてしまっているのではないか、
そこをどう埋めていいのかが分からなくていつも頭を抱える。
 
名前が載る以上、書きたいと思って書いたものじゃないし、という自分勝手な考えがどうしても抜けないのだけれども、
そういう記事につくコメントが非常にストレスだったりする。
 
 
しょーもないとかくだらないとか、
とにかく批判的なコメントが多いとコメントは見ないようにしてしまう。
 
自分の名前で出しているから
その記事は私の実績であり、私が書いたものとして認知される。
 
 
辛辣なコメントを見るとどうしてもいやな気分になる。
私だって好きで書いたのではない!と。
そういうの汲み取ってよ!と。
 
これが多くなるとどうにもモチベーションを保てなくなってしまう。
 
 
 
必要なスキルは一般の社会人と変わらない
 
そもそもライターをしようと考える人は
読み書きが苦じゃない人だろう。
 
どういう人が求められるかというと、期日を守れる人だ。
 
漫画家も作家も同じだと思う。
仕事としてそれをする以上、必ず期日は存在する。
 
クオリティーや正確さはそのあとだ。
 
で、安定したパフォーマンスができなければならない。
その日の気分とかテンションでパフォーマンスにムラがあってはいけない。
 
これは人それぞれなのだろうけど、クリエイティブ職についている人には多いのではないかと思う。
私に限っていえば、とにかく「ノってる日」と「ノらない日」の差が激しい。
なので「ノッてる日」にぶわぁぁぁぁぁぁあああっと仕事をこなし
「ノらない日」はコンテンツのストックをひたすら作ることしかできない。
 
「ノらない日」が続くとこの世の終わりである。
 
ナタリーとかはそうだと思うが
自社がニュースメディアの場合とにかく記事を量産しなければならないし
いち早く情報を取得し拡散しなければならない。
 
それを「ノっている日」だけにしかできないというのは甘えであり怠慢だ。
 
 
わたしは基本怠慢。
 
 
苦しんで苦しんでやっと1記事書けるのと、なんの苦労もなく淡々と何記事も書けるのと、
違うのは書き手だけだ。読み手にはなんの関係もないし、読む記事は同じだ。
 
爆発的なパフォーマンスをたまに発揮するよりは、
安定したパフォーマンスを確実に発揮できる人材のほうが好ましい。
 
自分のことを社会人失敗といっているようなものなのだけれども、
まぁ実際そうなのだから仕方ない。
 
 
 
どうにかせねばと思いつつ、
忙しさを理由に、ついつい現状維持をしてしまう。
この忙しさを理由にするあたりがもうNG。
 
とりあえず今日はちゃんと家の片づけをしようと思う。
部屋が汚いと本当に心に余裕がなくなるのだ。
 

とりあえず帰りてぇ。

 

thanks for comming! see you.