運命の誰か わたしを掬って食べて
誰でもいいよ わたしを潰して舐めて
暖かくなって来た。ようやく春めいてきたけれど、相変わらずふらふらしている。寒さが緩んだおかけで、また酒癖が悪くなった。寒いと早々に電車に乗って帰りたくなるのだけど、寒くないとなんだか帰るのが勿体無くて。
自宅で仕事ができるから、化粧をしない日の方が多い。だからたまに化粧をして服を選んで靴をきちんと履いた日は、1秒でも長く外にいたかったりする。
特にちょっと洒落込んで飲んだ日は、帰るのが本当に勿体なくて、遠回りをしたり、遅くからでも捕まりそうな友人に連絡してみたりする。
そんなときによく口ずさむのが表題の歌。誰か拾ってくれないかなー、とか、誰でもいいから気を紛らわすお酒に付き合ってくれないかなー、とか。まあ結局誰でもよくはないのだけれど。わたしを潰して舐めて、って表現が好き。案外今まで無かったよね、そのストレート。分かるしね、精神的にも物理的に潰されたいときって稀にあるし。
まあだいたい空振りするから、そういうときはカフェで仕事したり、入浴剤を買って帰ったりするのだけれど。
今年に入ってまだお酒の失敗は無いのだけど、週末は久々に飲みすぎて絶賛二日酔い。LINEを見返すと「ドラマかよ」って突っ込みたくなるようなアレコレがあって、六本木で飲んでた友人を「飲もうよ!」って渋谷まで呼び出したのに、1軒行ったら無理になってタクシーで帰ったり、とりあえず酔っ払いすみませんと謝罪。ろくな大人になってねぇな。
そういえば就職活動真っ只中のときに三宮で占いをしてもらったことがあるけど、あなたは好きなことして生きてるよ!って言われた記憶。当時は「適当かよ」って思ったけど、まさにその通りに生きてるんだから怖いもんだ。
年末に切って以来、節制を迫られて放置していた髪をやっと切れた。明るくしたくてトーンを上げても、赤みを消したら暗く見えて結局変わり映えは無い。
結構エモいことを歌う若いバンドマンの歌詞に
恋をしたい 好きにしたい 誰でもいい
ってのがあるんですけど、三十路だけど「分かる」ってなるんだよね。まあ世間の三十路イメージがBBAなだけで、実際の三十路って全然若いんだけどさ。
都合の良い恋っていうのは小説にも音楽にもよく登場してくるのだけど、多分ここ数年でわたしがしてるのもそれなんだけど、他に言葉が無いだけで、もしくはあっても公共の電波に乗せるのは憚られるような下卑た言葉しかないだけで、恋とは全然違うんだよなー、なんて思う。
気まぐれで瞬間的な好きになんて責任を持てないし持とうとも思わない。ついでに持ってもらおうとも。行き当たりばったりでゆるい生活をしているから、きちんとしている友人・知人を見るとすごいなぁと思うし、失言してないか不安になるし、なんで仲良くしてくれてるんだろうなぁと不思議に思う。
そんなこんなで、あと少ししたら桜の時期になるらしい。瞳を閉じても瞼の裏には誰もいないし、だから強くもなれないけど弱くもならない。これでも少しは肩に力を入れて生きてる。服が軽くなれば、その力も少しは抜けないかしら、なんて思っている。
3月受注少ないから頑張らないとなぁ…