ペトリコール - forget me not -

雨上がりの匂いと勿忘草

わたしたちはいつでもハッピーエンドを待ってるの

帰省備忘録、または便箋歌

年末年始をずらして、2/3〜5の弾丸帰省。2/5の朝には家を出るので、実家で過ごす時間は実質は一泊ニ日程度。

車で20分、電車で20分かけてUNIQLOへ行くような辺境にわたしが育った家はある。

一泊二日でも正直きつかった。

柔軟剤も使わない、芳香剤なんて存在も知らないわたし以外の家族。

玄関を開けたときから、服に、髪に、体に実家の匂いがまとまわりつくのが気持ち悪かった。

お風呂に入ったって、洗ったばかりだというバスタオルやシーツだって実家の匂いがする。

匂いが鉛のようにまとわりついて、ああ、わたしはこれから逃げたかったのかもしれない、と
埃臭い今にも壊れそうな軽自動車で駅まで送ってもらい、挨拶もそもそこにわたしは東京へと帰っていく。


わたしにとって帰るところは東京で
岡山は、もうわざわざ行くところなんだ。

そんな帰省をどうして備忘録に残そうかと思ったのかというと、ああ、この気持ちを真空パックしておけたらな、と思う出来事もあったからだ。

たぶん4年ぶりかそこらに会う、大学時代にわたしがとてもとても尊敬して大好きだった友人。

どういうところを尊敬していたかというと、1番はテキスト。

わたしはその子がくれるお手紙やメールからたくさんのことを学ばせてもらった。

漢字と平仮名の分量、漢字を平仮名に開くことでうまれる柔らかさ、そして意図して起こす深読み。

いつのまにか母になっていたその子に会うのは、実は少し緊張していたのだけど、駅前のロータリーで手を振ってくれた彼女をみたらそんなことは忘れてしまった。


ああ、そうだった。この子はこうやって、言葉で、表情で、全身で嬉しい楽しい大好きを伝えてくれる子だった。そういうところに甘えていたし、そういうところを尊敬していたのだ、と。


不思議なもので昔の自分を知る友達との再会は、今の自分のまま会話の一部だけを当時のままにタイプリープさせることができる。

話し足りなくて電車を1本遅らせて、来月にはわざわざこちらに遊びに来てくれるらしい。


なにを話しても「そうなんだ」とニコニコ嬉しそうに受け止めてくれる彼女には、だからこそあまり話さなかったり不機嫌な態度を出してしまうことが多々ある。

それはわたしが心からあなたを信頼して甘えている証拠なのだ、と、不器用で気ままな押し付けがましい愛情を一方的に伝えてきた。

あの子の溢れる寂しがりな愛情は、あの子の分身がきっと受け止めてくれている。そう思うだけで、わたしは彼女の耳にピアスが増えていないか心配することをやめてもよさそうだと思えた。


寂しがりで自己愛の強い彼女の口から、「尊敬できる人だった」というある思い出話を聞いた時は、思わずハグしそうになった。


好き好き大好き、会いたい会いたい、会えるの楽しみ、となんの恥じらいもなく言ってのける彼女の口から、初めて聞いた言葉だったから。


彼女のテキストを尊敬していて、言葉に真摯な彼女のことを尊敬していたわたしには、その言葉の重さが、8割は伝わってると思いたい。


わたしも同じように、そんな人に出会って、そして通り過ぎてしまったこと、今もこれからも一生特別な存在がいることを知っている彼女にとって、

きっとその思い出の君は、わたしにとってのその人くらい大きい存在なんだろう。



海を渡る電車の復路に乗って、今度は帰省したら必ず会う幼馴染に会いに行く。

昔話もするけれど、今年はなにか少し違って、

あの頃のわたしはあの子のことをこう思ってた。そして今はこうだったのかもしれない、という考察をひたすらに話し続けていた。


中学生くらいの頃、わたしは厨二病のピークを迎えていて、なぜか洞察力がある自分カッコいいと思っていて、人のことをわかったふりして全然本質を見抜けていない痛々しい奴だったわけだけど、


そうやって自分のことを愛せない私の代わりに、幼馴染はすごいね、よく見てるね、とわたしを愛してくれるのだ。

そう、なぜか今回はとにかくわたしにはわたしを強烈に愛してくれる人がいるのだ、と実感させられた帰省となったのだ。

今までも年に1度くらいは帰っているのに、そう思ったのは今回が初めてだ。

わたしをこんなに愛してくれる人がいるのよ!という嬉しさで、本当に満ち満ちと満月へと向かう14番目の月のような気持ちだった。


わたしは全く覚えていないわたしの言動を、幼馴染はとても大事に覚えてくれていた。

去年か一昨年かは定かではないが、東京に遊びに行こうかな、という彼女に、わたしは「わたしが帰ってくる、あなたは来るべきではないと思う」と言い放ったらしい。

確かに去年までの彼女は地に足がついていない感じがして、なんだか見ているだけで不安定が滲み出ていたから、動かないで待ってて、と言ってしまったのだと思う。


今年は「今度は遊びにおいでよ」と声をかけた。

幼馴染はその変化をとても喜んでくれて、わたしは上から目線で意見がコロコロ変わる自分を恥じつつも、でも何気ない言葉を覚えててくれて、それを喜んでくれる人がいることにとても感動した。

わたしにはわたしをこんなに愛してくれる人がいる!


どこまでいってもわたしはわたしのことばかり。

わたしもきっと同じくらい愛してる!

そのことを伝えたいのに、たぶんきっと伝わっていなくて、手紙でも書けばいいのにこうやって一方的な電子ラブレターを打っている。


わたしの耳には穴がないことを覚えていてくれて、帰り際に少し早いバレンタインのチョコとお守りイヤリングをくれた。

イヤリングはわたしをイメージした色だと言ってくれた。

その水色は、わたしが彼女に私の絵を描いて、と頼んだ時の背景の色と同じであることを、彼女は覚えているだろうか。


東京の友達に、1対1でしっかり話したことはないのに何故か大好きで大好きでたまらない子がいる。

その子は愛という言葉をよく使うのだ。

「だって愛してるもの」

彼女が放ったその言葉で、わたしはすっかり彼女のファンになってしまった。


ファンになってはや2〜3年経つわけだが、やっとわたしもその言葉が自然と口から出るものなのだということがわかってきた。


原稿用紙6枚分になっているこのテキストを見ると、よくこんなに書けるね、という人がいるだろう。

そうしたらわたしは笑顔で言い放ってやるんだ。

だって愛してるもの、って。

thanks for comming! see you.